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遠い記憶


東京オリンピックの頃の話。(歳がバレますなぁ)
小学校低学年だった僕はときどき両親が連れて行ってくれたあるレストランが大好きだった。家からクルマで5~6分の距離にあったその小さなお店は、チロル風の山小屋のような風情だったと記憶している。狭くて急な階段を上がると、ほの暗くさほど広くない店内は黒いクロスした木の梁と白い壁に赤いテーブルクロス。そこで食べるのはいつもハンバーグステーキ。子供心にも(実家の近所にはめずらしいような)小洒落たお店での美味しい食事は、家族と過ごした暖かく幸せな時間の記憶である。

さて、そのレストランそのものは今はもう無いようだが、実はおなじ名前の姉妹店があり、そちらはいまだに実家のほど近くで続いているということを近年知った。HPによると、当時より連綿と守り続けたデミグラスソース云々とある。こういう場合、そこに行ってみるというのはひとつの賭けであろう。大抵記憶は美化されているもの。現在の東京に暮らす自分が現在の外食事情のなかでその洋食レストランに行ってどう感じるか。当時の美味しく幸せだった味と時間の記憶が壊れてしまうこともあるだろう。

そんなことを思っていた矢先、ちょうど一人で夕食をとらねばならない日に実家近くを通過した。考えて、ちょっと自分を鼓舞してからそのお店を訪ねてみた。

こちらのお店も、記憶にあるのと同系統の、チロル山小屋風のお店。エントランスから2階に上がるところも当時のお店のつくりと一致。偶々店内は(閉店時間が近かったためもあるのか)自分ひとりだった。メニューから迷わず”ドイツ風ハンバーグステーキセット”をお願いする。

待つことしばし、料理が運ばれてきた。ああ、多分このお皿などは当時のままなのだろうなあ、と思うがそこいらのディテイルはもう記憶には無い。果たしてお味は・・・
ハンバーグパティは厚みも十分、粗微塵のタマネギの風味も香ばしくカリッと焼かれた外側もGOOD。伝統のデミグラスソースは・・・ううむ、正直、現代の東京のレストラン水準でいえば、まあ水準であり標準である(今時の東京で不味い食べ物を出す店はちょっと論外でしょう)。まろやかだがちょっとパンチというか印象に欠ける。

当時、このお店は子供心にはジャンルを問わずの「一番美味しいお店」であった。今このお料理は、あえて「昔ながらの洋食」という立場で作られている。「なつかしい味」というプレゼンス。それは付け合せのスパゲッティやポテトサラダというものにも現れていると思う。パティのつくり、焼き方は純粋に料理として高得点がつくハンバーグだと思うから、やはりレトロ感を(見た目や構成、食器などではなく)かもし出しているのは良くも悪くもデミグラスソースだろう。見た目や付け合せでなつかしの・・・を演出し、ソースは渾身の力を込めてシェフ自身が一番いいと思う納得のソースにする、という選択は無いのだろうか。それとも今のこのソースが、そうなのだろうか・・・

でも、今の自分が感じたことによって遠い幸せな記憶は色褪せることは無かった。それは料理が美味しかっただけではなく、そのお店に両親に連れられていくという幸せがあったからだろうと思う。「あのお店に行くよ」と親が言い、「わーい!」と子供が喜ぶ。喜ぶ子供を見てきっと両親も嬉しかったのではないかと思う。そういうことが、そういう時間が大切なのだろう。今、子を持つ親として、家族で出かける楽しかるべき食事の時間は楽しい時間として子供の記憶に残るように気をつけようと思う。ずっとずっと後になってからも子供の記憶の底に残るように。

PS.なのに早速、昨日出かけたお店のあまりの対応の悪さに不機嫌になってしまった。反省。


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