SSブログ

Grand Touring for Fukui [旅]

GTF 1 福井へ

image.jpeg午前4時15分、東名高速海老名下りSA。GWの下り渋滞を避けるための早い集合・出発時間の設定だ。やはり交通量はこの時間でもかなり多いが、計画通り町田・大和付近や海老名・厚木の渋滞に巻き込まれる事なく新東名に滑り込む事ができた。濃霧の御殿場を過ぎて新静岡SAで暖かい蕎麦の朝食を摂る。

なぜ今回、1933年製のVelocette KSS Mk.1 ではるか福井県の三国まで行こうと思ったのか。
三国が目的地であるのは、そこに勤務しているJ君がいるから、彼が三国勤務の間に訪問したかったということ。行く手段がバイクであり、それがKSSである理由は・・・なかなか簡潔には言い得ないが、実は手持ちの車両の中では、KSSがそのライディングポジション、走行性能などでは一番適していると思えたから。そしてなにより自分が、KSSで”それ”をしたかったからなのだと思う。勿論それを実際に行動に移すにはKさんの同行が得られる必要があった。

諸事情で前夜2時間半しか眠っていないが、快調に新東名をどんどん下る。が、総量8ℓしかはいらないスポーティな?タンクゆえ、航続距離が短いのは如何ともし難く、平均50kmごとに配されているGSのあるSAごとの停車を余儀なくされる(KSSは思ったより高速燃費が伸びず、概ね18km/ℓくらいなので、最大航続距離は140kmくらいの計算になるが、コックにはリザーブが付いておらず、万一のガス欠を考えるとSA2個を一気に走破するのはかなりリスキーなのだ)。

強い北風に時折り進路を乱されながら、名古屋に突入する手前、岡崎SAで早めの昼食と休憩を取る。
同行してくれているVincent Comet に乗るKさんは、停まるたびにKSSのチェックをしてくれる。思ったよりオイル消費が激しい(KSSはセミ・オープンバルブなのでその辺りからのオイル消費がある)が、その他は特に大きな問題も無く快調。だが、車体各部は振動が原因と思われるビスの緩みや脱落がかなり見られる・・・脱落した箇所はタイラップで応急処置をしていただく。まるで、「また針金で直すのか?きちんと直そうぜ、」とやりとりしながら走ったチェ・ゲバラと相棒の『モーターサイクル・ダイアリー』のようだ。
高速巡航時(平均80km/h)での振動は、前回高速走行時(三浦ツーリング)よりけっこう大きいように感じる。こんなに振動したっけ?と思うほど。しかしこれには理由があったことが、後に判明する。


image.jpeg新東名から東海環状道に入ると給油できるSAが無い。そのまま東海北陸道に不安なまま入る。振動はいよいよ激しい。ガスの残量が気になる。飄ケ岳PAで停車した段階で、岡崎で給油してから50マイルは走っている。降りる予定の白鳥ICまでにGSのあるSAは無い。已む無く携行している虎の子の1ℓの予備燃料と、K氏の持っている予備650ccも合わせて投入、走行を続けることにする。と、車両チェックしてくれていたK氏が、とんでもない事態を発見する。なんと、エンジンのヘッド部分とフレームのダウンチューブを結ぶステーのフレーム側ボルトが破断してしまっている!仕方なくそこもタイラップで出来るだけ締め上げて処置。と、今度はエンジンが始動後にストールしたきり再始動しなくなってしまった。スパークプラグを外し点火を見てみると、ああ、火花が飛んでい無い。正直ここで自分は、この旅を続けることはもう不可能だろう、と思った。各部ボルトの緩み・脱落・破損、点火不能・・・ここからレッカーしなくてはならないのか。K氏はどうするだろう、申し訳ない・・・・ところが、K氏は諦めていない。なんとマグネトーを分解し始めたではないか!自分から見ると、もう路上で脳外の手術をおっぱじめてしまったようにも思える。しばらく作業してくださり再び組み付け、キックアームを蹴ってみると、おお、ちゃんと火花が飛ぶではないか!Kさんスゲー!

乏しい燃料のまま再スタート、ガス欠しないようにエコラン的に走行を続ける。ヘッド固定ステーをタイラップで止めた効果か、振動はかなり軽減されている。と、今度はガシャシャーン・・・!と音が。路肩へ寄せ停止させる。あーやっぱり。スタンドスプリングの破断でスタンドが落ちてしまったのだった。今度こそさすがにレッカーか、と思っていると、なんとKさん、ここもタイラップでなんとかしてしまった!しかし、これで自分一人ではバイクから離れることも出来なくなってしまった。
なんとかガス欠せずに白鳥ICを降り、GSを探し当て給油。再補充した携行缶の分も合わせて7.05ℓ入ったので、もし携行缶から補充しないまま走ったとすると、このGSまではギリギリ走れたことになるが、それは結果論に過ぎない。危なかった。

image.jpegいくつものボルト・ナットが破断・脱落し、スタンドもタイラップで固定したままという満身創痍の状態で九頭竜渓谷を目指す。エンジンそのものはいたって快調である。山に入るにつれ、ぐんぐん気温が下がる。道端の掲示灯にとうとう8℃の文字が。GWとは思えないあまりの寒さに首をすくめながらも、曲率の気持ち良いワインディングロードを楽しむ。
木々は新緑、山の澄んだ空気、明るい晴天、しかし気温は8℃。この感じは、ああそうだ、これはまったく北海道のあの感じだ!と思い当たる。途端に、23年前にひとりで北海道の山あいを走っていた時の感情が胸に溢れてくる。Velosette Kss Mk.1の走りは、とてもこれが80年以上前のバイクで、リジッドフレームだとは思えないほど軽快で楽しい!勿論、現行車のように、高性能タイヤを生かす高剛性フレームや高性能サスペンションも持たないからカーブを抜ける絶対速度(特に立ち上がり加速)自体は大したことはない。が、その独特の操縦感覚、乗り手の操作にダイレクトに反応する楽しさ・難しさは、乗り手の五感を刺激し、この上ない面白さとやり甲斐を与えてくれるようだ。こんな性能が80年も前に存在したのか、、、と驚かされる。そう、自分は、このバイクが古いから好きなのではない、この当時の最新・最高の性能を持ったバイクをその持てる力を出し切るように走ることが好きなのだ。

九頭竜の道をすっかり楽しみ、永平寺町を過ぎ、給油して宿泊地のあわら温泉まであと10km、というところで、タイラップが切れてまたスタンドが落ちる。今回のために用意したBTのインカムでKさんに「待ってー」と呼びかけ、また直してもらう。J君の待つ宿に着いたのは、計画より3時間遅れの午後7時すぎだった。






GTF2 三国の人たち

少々迷いながらお祭りで賑わい始めた あわら温泉街に到着したのは午後7時になっていた。宿を探し当て、荷ほどきをして部屋で軽くシャワーを浴び人心地つく間もなく、J君が車で迎えに来てくれた。がっちりと再会の握手。「ホントに来たんですね、しかもアレで! 絶対MHRで来るものと思ってましたよ(笑)」今晩は、彼の三国での仲間の方々も一緒に一席設けてくれていると言う。
窓を開け、暮れなずむ三国の空気を感じながら走ると、ほどなく入りくんだ旧市街に入り目的地のお店に到着。この辺りはかつて三国港が北前船で賑わっていたころの花街で、今日のお店も元はそれは立派な置屋さんだったとのこと。パーキングのすぐ先には岸壁に係留された中型漁船が見える。海から少し九頭竜川に入ったこの港の風情に、僕はリスボンのカシーリャスという古い漁港を思い出した。そこの岸壁にあるポント・フィナールというレストランで広大なテージョ川を眺めながらゆっくり食事するのが大好きなのだが、そうだ、この三国港のお店も今日の僕らのポント・フィナール(最終地点)なのだな、と思った。

image.jpegお店はライディングウエアでお邪魔するにはちょっと躊躇してしまうほどに立派だった。でも暖簾をくぐり、からりと扉を開けるとお店全体から暖かさが溢れてきた。土間ホール?からすぐ上がったお座敷には、既にお待たせしてしまっていた三国写真部のKTさんとNさんがいらした。今回の旅のパートナーにしてお守り役のKさんはこれが2回目の来店で、KTさんやNさん、お店の人たちにももうすっかりお馴染みらしい。挨拶もそこそこに素晴らしいお刺身やら天ぷらやらお酒が並び、最初こそ丁寧語だったが、少し遅れてSさんが参加する頃にはガハハ、ギャハハと打ち解けて楽しい宴になった。

image.jpegそれにしても、なんて暖かい人たちなのだろう。がんがんテンポよくギャグをかまし、すかさず突っ込み、よくわからない歌まで飛び出し大笑いする中にも、500kmの彼方から来福した仲間の友人を歓待し愉しませようとして気配りしてくださっているのがしみじみ伝わってくる。ありがたい暖かい気持ちに包まれ、普段はほとんど飲まないお酒がどんどん進む。
魚志楼というこのお店のお料理は、すごかった。三国港から上がる新鮮この上ない魚は、いくら東京・築地に日本中の良いものが集まるといってもやはりちょっと違う。そして京都で修業なさった板さんの炊いた鯛のあら煮、これがほんとうに凄かった。こういうところに、関東圏と京都文化圏との違いを痛感してしまう。
すっかり良い気分で宿に戻った我々二人とも、布団に倒れこむとたちまち深い眠りに落ち込んでいってしまった。



image.jpeg翌朝、ほんとうに清々しい空気と日差しを浴びながらゆっくりと出発の支度をする。またしても早起きしたKさんが僕のKSSもしっかりチェックしてくださっている。すみません、ありがとうございます。今日はJ君も休暇を取って途中まで一緒に走ってくれることになっている。遠くからも聞こえる野太い排気音が近づいてきて、カンリンSR500に乗って彼が現れた。さわやかな連休中らしい天気の中、3台で調子よく走る。ああ、楽しいなあ、この3人が一緒に走るのは何年ぶりだろう。「ミラーで見るたびににっこにこですよ(笑)」とJ君に笑われるが、だって、良い空気でこの3人でKSSで、しかもここは三国で、楽しくて幸せでもう仕方ないんだもの。

まずは最寄りのホームセンターでボルトナットやらワイヤー、カラビナなど使えそうなものを買い込み、Kさんが昨日タイラップで応急処置してくれたところを出来るだけ修復し、スタンドも固定・解除がすこし楽になった。

image.jpegそれから10分ほどで、Saji Spaceというかなりおしゃれなカフェに到着。ここも素晴らしいお店だった。建築も内装も、調度もとても素敵、コーヒーも美味しい! ああこんなお店が東京にもあったらなあ。。。壁には船舶照明や、驚いたことにカッターのオールなどという普通ではお目にかかれないようなものまで飾られている。オーナーはレザークラフトもなさる若くチャーミングな女性なのだが、まさかこんな華奢な女性が海軍出身じゃないでしょ? 後から判ったが、昨日ご一緒してくださったNさんもここのオーナーも、三国高校のヨット部だったようなのだ。納得!なんだ、知ってればヨット話で盛り上がったのにね。
三国写真部のSさんもここにお見送りに来てくださり、KTさんもJ君と一緒に少し走って下さるとDUCATI SPORT CLASSICで来て下さった。4台で永平寺近くまで走り、美味しいお蕎麦でお昼を食べ、GWで交通量の多い道を(彼らのバイクでこの速度域では全然楽しい走りではないだろうに、しかもKTさんはかつての4耐ライダー、J君は2大陸を走破したツワモノだ)九頭龍・道の駅まで一緒に走る。
ここで、彼らとはほんとうにお別れだ。名残惜しいが、今日は高山経由で松本まで行かねばならない。しっかり握手し、再会を硬く約して別々の方向にバイクを向けた。
image.jpeg







GTF3 安房峠

九頭竜”道の駅”で名残りを惜しみつつJ君とKTさんの二人と別れたのが午後4時近くだった。Kさんの読みでは高山を経由し安房峠を越えて松本まで4時間くらいだろう、と言う。いままでの4輪で高山〜松本を走った経験から自分としては、いくら今回が戦前車での移動だとしても乗用車の移動速度とそれ程劣るとも思えず、そんなに余裕を見なくても・・・と正直考えていたのだが、念のため宿泊予定のビジネスホテルに到着が午後8時〜9時になりそうなことを伝え、昨日とは反対に九頭竜渓谷をどんどん上る。

Velocette KSS Mk.1はフロントがガーダーフォーク、リアがリジッドというマシンだ。サドル型のシート下にスプリングがあるため現代の整備された道路ではそれほど突き上げも感じず、思ったよりもかなり快適であるが、コーナリングはやはりその車体の特徴をよく理解している必要があると思う。基本的には徹頭徹尾、後輪荷重での旋回に努める。フロントサスペンションは単純なバネであり、フリクションダンパーはあるにはあるが、殆ど機能を感じない。即ち、コーナー進入前に必要な減速は十分しておき、リアブレーキをわずかに引きずるようにしながらスッとリーンし、あとはスロットルを開けの一方通行でリアにトラクションをかけ続けていくような乗り方になると思う。もしコーナーに進入してしまってから奥でRがきつくなっているのに気付いたとしても、そこでアクセルオフにしてしまうと、フロントはインに巻き込むどころか、すーーーーっとアウトへはらんでしまうので注意が必要だ。しかし、その特性を生かす乗り方をする限りKSSはとても軽快に、ひらっ、ダダッ、ひらっ、ダダダッと気持ちよくコーナーを抜けていく。

あとで聞いたことだが、その様子を真後ろで観察しながらVincent Comet で走っていたKさんによると、KSSのリアホイールはまるでサス付きの車両のそれのように上下動したりしていたそうだ。しかし、車体の挙動はスムーズで、リアが跳ねている実感はまるでなかった。いや、そうさせないように意識して乗っていたつもりなのだから。でも、コーナー後半で旋回力を高めようとアクセルオンしていくと、フロントが入るというより、リアが少し外へ出ることで車体の向きが変わっていくような感覚があった。もしかすると好ましい範囲でのリアのスライドがあったのかもしれない。考えてみれば道理に合っている。このバイクが発売され活躍していた80年前のヨーロッパの道路は良くても簡易舗装で、フラットダートの部分も多かったはず。タイヤ性能も今とは比ぶべくもなく、前後とも常に微妙に滑っていたに違いない。スキーでいえば現代的なカービングで曲がるのではなく、昔風にテールの流し方で曲率を決めていくような走り方だ。

そんなことを考えながら楽しくワインディングを走りきり、有料道路(無料部分)を通りながら東海北陸道に入る。55〜60mile/hで順調に巡航、山々には夕暮れのアーベント・ロートも垣間見える。と、行く手の空にかなり黒い雲がかかっているのが見えてきた。インカムに「カッパ着た方がいいんじゃないですか?」というKさんの声が入った。「まだ大丈夫ですよ」と言った矢先にポツポツと雨粒が当たり始めたので、前言撤回、急遽ひるがのSAに逃げ込んでカッパの上だけ急いで着込む。早く距離を稼がないと、もう夕闇がすぐそこまで迫っているのだ。気温もまたぐんぐん下がってきた。

飛騨清見ICから高山清見道路に入り、高山市街の北を過ぎて松本を目指すころにはすっかり暗くなって、雨も本降りになってしまった。GSを探しながらR158を進む。午後6時半になって、やっとGSで給油。6.5ℓ入って、これは計画どおり。これであとは松本までガス欠の心配はないだろう。すっかり冷えた体をコンビニのコーヒーで温め、いよいよ安房峠越えが始まる。現在は安房トンネルができたので、湯の平に至る極めて厳しい峠道は迂回できるようになってはいるが、トンネルに至る前は真っ暗な細いワインディングだし、峠の先は上高地に至る釜トンネルの直下、そこから梓川に沿って松本まで狭く曲がりくねった道が続く。

雨はどんどん激しくなってくる。KSSのヘッドライトは、オリジナルのものよりは実用性を重んじて(?)少し後年のルーカスのものに換装してあったのだが、この状況ではそれは行灯のごとくの能力しかなかった。一定に真っ暗ならまだいいのだ。一番困ったのは、対向車とのすれ違いである。ボブ・ヒースの5エアホールタイプのシールドはホックでジェットヘルメットに固定されており、跳ね上げることができない。雨粒と低温で次第にシールドは曇り、やがてどんなに呼吸や角度を工夫しても一面の曇りが晴れなくなってしまった。そこへ対向車のヘッドライトが当たると、シールド一面に乱反射してしまい、しかも対向車が通り過ぎると今度は一面が真っ暗で目の暗順応が間に合わず、その先の道がどうなっているのが全く分からなくなってしまう。止むを得ずほとんど失速寸前まで減速し、やっとセンターラインかガードレールが見えたところでドコドコと這うように進んで行く。

image.jpegR158はいよいよ高度を上げ道幅は狭くなってくる。雨は強く、とうとう路肩に「気温3℃」の表示灯が見えたあたりで、視界は全く効かなくなってしまった。仕方なくヘルメットからシールドをかなぐり捨てる(若干の脚色ありw)。これで雨粒は直接顔に当たるようになるが、視界ははるかに効くようになった。やれやれ、と登りつづけると、ふっと排気音が高くなったように思った瞬間、インカムから「マフラーが落ちた!」とKさんの叫び声が聞こえた。すぐその先の左側に待避所があったので、そこにバイクを寄せる。が、僕のKSSは例のスタンドスプリングが吹っ飛んで以来ワイヤーとカラビナで固定されているので、ひとりではスタンドを立ててバイクを降りることができない。心で手を合わせながら、Kさんがマフラーを回収してくださるのを待っていた。

「運がいいですよ、マフラーは道の真ん中に止まって、その後クルマが5台通ったけど、みんなマフラーをまたいでいってくれたので、踏まれずに済みました」ハアハアいう息遣いとともに、Kさんの優しい声がインカムに聞こえた。本当にすみません、ありがとう、ありがとう。場所は安房トンネルの直前だった。エキパイのみの直管で走りだす。音は多少大きくなったが、走行に支障ない。なんだか、KSSを旅仕様のKTSにしたのに、直管になって最後はKTTみたいだな、などとちょっと可笑しくなるが、トンネルを抜ければまた雨と暗闇と狭いワインディングである。左に閉鎖中の釜トンネル入り口が不気味な姿を見せている。

以前、クルマで何度もここへ来ている。たしかに今でも険しい道ではあるが、元々ラリードライバーである自分からすればここもまた完全舗装の立派な国道である。不気味だとは思っても道が怖いとは思ったこともなかった。しかし今回、80年前のバイクで今日のような雨と闇と暗いライトという条件で走ってみると、日本でも有数の秘境であったこの山あいの道の持つ危険性は、80年前とその本質は何ら変わっていない、ひとつ間違えば命を失うような場所なのだと強く感じた。

image.jpeg慎重に、手で探るように、少しずつ降り続ける。素掘りの不気味なトンネルと片側絶壁の道を、沢渡(さわんど)、前川度(まえかわど)と過ぎ、釜トンネルが一般車通行禁止のため上高地に入るバスに乗り換える駐車場(だと思われる辺り)を超え、新島々の駅(真っ暗で、多分そうだと思われる建物)を過ぎ、そうしてようやっとコンビニの灯が見えたときには本当に(ああ助かった、生きて山を降りてきた)という思いになった。とにかくバイクを止め、ガタガタ震えながらKさんとコーヒーを飲む。お互い多くを語らない。小休止しただけでまた走り始める。いつしか雨も止み、暗い国道を見違えるように調子よく飛ばす。ほどなく松本ICを超え市内に。街は僕らがそんな思いで山から命からがら降りてきたことなんかまるで無かったように平穏で明るく暖かい。その違和感に面食らいながらホテルのパーキングにバイクを滑り込ませ、ヨロヨロと部屋へチェックインする。そこには乾いたシーツ、暖かい空気。時計を見るとKさんが見込んだとおりの、ジャスト9時半だった。





GTF4 800mileのチェッカーフラッグ

松本駅前のホテルにチェックインし、軽くシャワーを浴びて普通の人(笑)に戻ると、駅近くの信州料理屋さんでKさんとささやかな祝杯をあげた。ついさっきまで3℃の氷雨、視界0のなかアルプスの峠を越えてきたのが嘘のようだ。しみじみKさんとこの旅を語り合いながら、あらためてなぜ自分が今、Velocette KSS というバイクに乗ろうと思ったのか、それで何をしようと思ったのかと考えていた。

50代も半ばを過ぎ、仕事もある程度成し子供達も成長して家庭も落ち着き、久しぶりに再開した4輪のヒストリックレースも(生意気だが)大体分かってきた今、なにか無我夢中で走り続けてきた今までと違ってちょっと周囲を見回すというか、あれ?自分って、結局何をしてんだ?何をしたと言えるんだ?などと戸惑ってしまうような感覚があるのだ。生きるため、家族のため一心不乱に働いてきた企業戦士が定年を迎えて、自分を見失いすべきことがわからなくなるという記事を読んだことがあるが、すこしそれに似ているのかもしれない。今までの自分を取り巻くものをかなぐり捨て、一からなにかを始めればまた否応なく集中し無我夢中にはなるのだろうけれど、現実的にはやはり(言い訳に過ぎないとしても)家族を考えるとなかなか難しい。それに、自分が「夢中になるため」に現在の安定を捨てるのは、やはりある種のわがままにも感じる。退屈だなどと贅沢言ってるんじゃないよ、ということだ。でも、男ってそんなものかもしれない。あの「大草原の小さな家」のインガルス父さんも、やっと暮らしが安定するともっと未開の西へ行きたくなっちゃって母さんをこまらせていたんだから(笑)

そんな折、TRカンパニーにこのKSSはあった。ガーダー・リジッドには漠とした憧れがあったものの勿論乗ったこともなく、どんな乗り物なのかは全く未知だった。しかし今自分の周りには、Velocette KTT を駆ってヒストリックレースで大活躍中のTR高橋社長を筆頭に今回同道いただいているKさんはVincent comet, Ariel VBをストリートで使いこなし、サーキットではMatchlessでランディ・マモラのように疾駆している。他にも心底楽しそうに戦前車ライフを送っている先輩たちがたくさん居るのだ。一人っきりでツテもノウハウもなく乗るのではない。戦前車に乗る環境は抜群と言える。しかも、自分に現実的に残されている時間は、それこそ良くて20年ほど。ならば、乗りたいなら今始めるしかないじゃないか。そして、この貴重な名車を僕が20年預かり、きちんと走る状態で次の担い手に渡していく役割をやらせてもらおう、と決心した。

果たして乗ってみて心底驚いた。これが、齢83を数えるバイクだろうか?軽い・速い・気持ちいい(笑)当時画期的システムだったべベル駆動のOHC, 世界初のポジティヴストップ・ペダルシフト(それまではハンドチェンジ)、さすがマン島TTを制したマシンの系列スーパースポーツだ。その性能はこの旅でも遺憾なく発揮された。その一方、古さを感じざるを得ないのは、まずブレーキ性能、電装系の弱さ、リジッドフレームによる振動からの弊害(ただし今回のボルト類などの破断・脱落はエンジンヘッドとフレームを繋ぐメンバーの金属疲労が原因で往路は異常振動が出ていたと考えられ、それがなければ今回ほど各部が緩んだり落ちたりはしなかったと思われる。しかし、リジッドゆえそれらの定期チェックとメンテナンスが必須であるとも言える)だろう。

メーカーはそのバイクの性能を、「いつでも」「どこでも」「いつまでも」発揮できるようにサスペンション、タイヤ、電装・電子制御などを開発・熟成してきたのだろう。その恩恵で、現行車はセル一発で「必ず」エンジンがかかり、ポイントも磨く必要もなく、航続距離も長く、氷雨でもグリップヒーターがあり、安全に快適に早く走れるようになっている。これは、紛れもない進化である。が、同時にその対極にある戦前車は、では単に「苦労を楽しむ」「面倒を威張る」「遅いのを味と言い張る」乗り物なのだろうか?
もちろん否!である。現行車が安定・安全・高性能を得た引き換えにマスクされてしまったバイクの持っている本質の楽しさ、ガスが気化して火花が飛んで燃焼が濃かったり薄かったり点火タイミングが遅かったり早かったり、気圧が低かったり高かったり路面が滑りやすかったり凹凸があったり、というような諸々がダイレクトかつ濃厚に味わえるのがpre-warモデルなのだと思う。
初日、車体は満身創痍ながら基本的には絶好調のKSSで九頭竜を楽しく下り、道の駅で一服しながらKさんは言うのだった。「こういうの、最高に楽しくないですか?(笑)」いや、何から何までやっていただいている自分が『こういうの楽しいっ!』って言うわけには行かないでしょう、と言ったが、実は(全部やってもらっておいて、は棚に上げて)本当にこういうの、最高に楽しいのだった。なにかあっても対処して走り続ける。これはもう耐久レースでゴールを目指す醍醐味に通じる究極の楽しさだ。
大げさにいえば、自分の人生のこれからのステージをこのKSSとならドキドキワクワクしながら夢中になる時間を共にできる!そう確信できた旅になったのだった。



image.jpeg3日目、朝の爽快な空気を吸いながら女鳥羽川沿いを少し歩き、大好きな”まるも”でモーニングという贅沢をしてから出発の準備をし、今日は松本から一気に小金井のTRカンパニーを目指す。さすがに各部の修理・メンテが必要なのと、来る22日のFoSTに向けサーキット装備をお願いするための入庫だ。オイルチェックと給油をし、松本ICから長野自動車道・中央自動車道と一気に駆け抜け双葉SAで給油、笹子トンネルの前の長い勝沼の登りにかかる。55mile/h巡航で登っていくと、ちょっとアクセルのツキが悪い感じが出てきた。と、トンネルの手前、登坂車線が終わるあたりで突然右ハンドルと右ステップに振動が現れた!
走りながらエンジンヘッドステーのフレーム側マウントを触る。外れてはいないようだ。もう登りも終わりなので、次のPAまで行けるか様子を見ることにし、できるだけ負荷をかけないように滑空するように走る。
事態はそれ以上悪化せず、なんとか”はつかり”PAにたどり着く。チェックしてみると、なんと件のステーの左側にクラックが見つかった。破断しているようだ。これはKさんでもタイラップをもってしてもここではどうしようもない。また、アクセルのツキの変化は、軽いオーバーヒートだったようだ。それもあり、ここで休憩とした。Kさんは「ここのおにぎりが好きなんですよ」となにかの葉っぱで巻いたおにぎりを頬張る。

image.jpegエンジンが冷えたころを見計らって再スタート。その後はそれ以上のイベントは無かった。スミス・メーターの距離計は800mileを後にしたことを示している。気持ちはもう耐久レースの最終盤だ。ここまで走ってこれたのはライダーだけの力では「まったく」ない。もちろんKさんの助け、そして車両を整備・準備してくれたTRカンパニーの社長、メカニックのGさん、その後ろには同じように旧車を楽しんでいる仲間達、そんな全ての人たちのチームが待っているゴールラインへ、ピットまで、マシンを必ず届けるんだ!・・・そんな感慨で走っていると、料金所のおじさんもサーキットのポストのマーシャルにも思えてくる? ゴールした後のクーリングラップのように「ありがとう」と手を振って通り過ぎたら「何なんだ?」と変な顔されるかな・・・
image.jpeg
コメント(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
カニ目SD-2|- ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。