Grand Touring for Fukui [旅]
午前4時15分、東名高速海老名下りSA。GWの下り渋滞を避けるための早い集合・出発時間の設定だ。やはり交通量はこの時間でもかなり多いが、計画通り町田・大和付近や海老名・厚木の渋滞に巻き込まれる事なく新東名に滑り込む事ができた。濃霧の御殿場を過ぎて新静岡SAで暖かい蕎麦の朝食を摂る。
なぜ今回、1933年製のVelocette KSS Mk.1 ではるか福井県の三国まで行こうと思ったのか。
三国が目的地であるのは、そこに勤務しているJ君がいるから、彼が三国勤務の間に訪問したかったということ。行く手段がバイクであり、それがKSSである理由は・・・なかなか簡潔には言い得ないが、実は手持ちの車両の中では、KSSがそのライディングポジション、走行性能などでは一番適していると思えたから。そしてなにより自分が、KSSで”それ”をしたかったからなのだと思う。勿論それを実際に行動に移すにはKさんの同行が得られる必要があった。
諸事情で前夜2時間半しか眠っていないが、快調に新東名をどんどん下る。が、総量8ℓしかはいらないスポーティな?タンクゆえ、航続距離が短いのは如何ともし難く、平均50kmごとに配されているGSのあるSAごとの停車を余儀なくされる(KSSは思ったより高速燃費が伸びず、概ね18km/ℓくらいなので、最大航続距離は140kmくらいの計算になるが、コックにはリザーブが付いておらず、万一のガス欠を考えるとSA2個を一気に走破するのはかなりリスキーなのだ)。
強い北風に時折り進路を乱されながら、名古屋に突入する手前、岡崎SAで早めの昼食と休憩を取る。
同行してくれているVincent Comet に乗るKさんは、停まるたびにKSSのチェックをしてくれる。思ったよりオイル消費が激しい(KSSはセミ・オープンバルブなのでその辺りからのオイル消費がある)が、その他は特に大きな問題も無く快調。だが、車体各部は振動が原因と思われるビスの緩みや脱落がかなり見られる・・・脱落した箇所はタイラップで応急処置をしていただく。まるで、「また針金で直すのか?きちんと直そうぜ、」とやりとりしながら走ったチェ・ゲバラと相棒の『モーターサイクル・ダイアリー』のようだ。
高速巡航時(平均80km/h)での振動は、前回高速走行時(三浦ツーリング)よりけっこう大きいように感じる。こんなに振動したっけ?と思うほど。しかしこれには理由があったことが、後に判明する。
新東名から東海環状道に入ると給油できるSAが無い。そのまま東海北陸道に不安なまま入る。振動はいよいよ激しい。ガスの残量が気になる。飄ケ岳PAで停車した段階で、岡崎で給油してから50マイルは走っている。降りる予定の白鳥ICまでにGSのあるSAは無い。已む無く携行している虎の子の1ℓの予備燃料と、K氏の持っている予備650ccも合わせて投入、走行を続けることにする。と、車両チェックしてくれていたK氏が、とんでもない事態を発見する。なんと、エンジンのヘッド部分とフレームのダウンチューブを結ぶステーのフレーム側ボルトが破断してしまっている!仕方なくそこもタイラップで出来るだけ締め上げて処置。と、今度はエンジンが始動後にストールしたきり再始動しなくなってしまった。スパークプラグを外し点火を見てみると、ああ、火花が飛んでい無い。正直ここで自分は、この旅を続けることはもう不可能だろう、と思った。各部ボルトの緩み・脱落・破損、点火不能・・・ここからレッカーしなくてはならないのか。K氏はどうするだろう、申し訳ない・・・・ところが、K氏は諦めていない。なんとマグネトーを分解し始めたではないか!自分から見ると、もう路上で脳外の手術をおっぱじめてしまったようにも思える。しばらく作業してくださり再び組み付け、キックアームを蹴ってみると、おお、ちゃんと火花が飛ぶではないか!Kさんスゲー!
乏しい燃料のまま再スタート、ガス欠しないようにエコラン的に走行を続ける。ヘッド固定ステーをタイラップで止めた効果か、振動はかなり軽減されている。と、今度はガシャシャーン・・・!と音が。路肩へ寄せ停止させる。あーやっぱり。スタンドスプリングの破断でスタンドが落ちてしまったのだった。今度こそさすがにレッカーか、と思っていると、なんとKさん、ここもタイラップでなんとかしてしまった!しかし、これで自分一人ではバイクから離れることも出来なくなってしまった。
なんとかガス欠せずに白鳥ICを降り、GSを探し当て給油。再補充した携行缶の分も合わせて7.05ℓ入ったので、もし携行缶から補充しないまま走ったとすると、このGSまではギリギリ走れたことになるが、それは結果論に過ぎない。危なかった。
いくつものボルト・ナットが破断・脱落し、スタンドもタイラップで固定したままという満身創痍の状態で九頭竜渓谷を目指す。エンジンそのものはいたって快調である。山に入るにつれ、ぐんぐん気温が下がる。道端の掲示灯にとうとう8℃の文字が。GWとは思えないあまりの寒さに首をすくめながらも、曲率の気持ち良いワインディングロードを楽しむ。
木々は新緑、山の澄んだ空気、明るい晴天、しかし気温は8℃。この感じは、ああそうだ、これはまったく北海道のあの感じだ!と思い当たる。途端に、23年前にひとりで北海道の山あいを走っていた時の感情が胸に溢れてくる。Velosette Kss Mk.1の走りは、とてもこれが80年以上前のバイクで、リジッドフレームだとは思えないほど軽快で楽しい!勿論、現行車のように、高性能タイヤを生かす高剛性フレームや高性能サスペンションも持たないからカーブを抜ける絶対速度(特に立ち上がり加速)自体は大したことはない。が、その独特の操縦感覚、乗り手の操作にダイレクトに反応する楽しさ・難しさは、乗り手の五感を刺激し、この上ない面白さとやり甲斐を与えてくれるようだ。こんな性能が80年も前に存在したのか、、、と驚かされる。そう、自分は、このバイクが古いから好きなのではない、この当時の最新・最高の性能を持ったバイクをその持てる力を出し切るように走ることが好きなのだ。
九頭竜の道をすっかり楽しみ、永平寺町を過ぎ、給油して宿泊地のあわら温泉まであと10km、というところで、タイラップが切れてまたスタンドが落ちる。今回のために用意したBTのインカムでKさんに「待ってー」と呼びかけ、また直してもらう。J君の待つ宿に着いたのは、計画より3時間遅れの午後7時すぎだった。
GTF2 三国の人たち
少々迷いながらお祭りで賑わい始めた あわら温泉街に到着したのは午後7時になっていた。宿を探し当て、荷ほどきをして部屋で軽くシャワーを浴び人心地つく間もなく、J君が車で迎えに来てくれた。がっちりと再会の握手。「ホントに来たんですね、しかもアレで! 絶対MHRで来るものと思ってましたよ(笑)」今晩は、彼の三国での仲間の方々も一緒に一席設けてくれていると言う。
窓を開け、暮れなずむ三国の空気を感じながら走ると、ほどなく入りくんだ旧市街に入り目的地のお店に到着。この辺りはかつて三国港が北前船で賑わっていたころの花街で、今日のお店も元はそれは立派な置屋さんだったとのこと。パーキングのすぐ先には岸壁に係留された中型漁船が見える。海から少し九頭竜川に入ったこの港の風情に、僕はリスボンのカシーリャスという古い漁港を思い出した。そこの岸壁にあるポント・フィナールというレストランで広大なテージョ川を眺めながらゆっくり食事するのが大好きなのだが、そうだ、この三国港のお店も今日の僕らのポント・フィナール(最終地点)なのだな、と思った。
お店はライディングウエアでお邪魔するにはちょっと躊躇してしまうほどに立派だった。でも暖簾をくぐり、からりと扉を開けるとお店全体から暖かさが溢れてきた。土間ホール?からすぐ上がったお座敷には、既にお待たせしてしまっていた三国写真部のKTさんとNさんがいらした。今回の旅のパートナーにしてお守り役のKさんはこれが2回目の来店で、KTさんやNさん、お店の人たちにももうすっかりお馴染みらしい。挨拶もそこそこに素晴らしいお刺身やら天ぷらやらお酒が並び、最初こそ丁寧語だったが、少し遅れてSさんが参加する頃にはガハハ、ギャハハと打ち解けて楽しい宴になった。
それにしても、なんて暖かい人たちなのだろう。がんがんテンポよくギャグをかまし、すかさず突っ込み、よくわからない歌まで飛び出し大笑いする中にも、500kmの彼方から来福した仲間の友人を歓待し愉しませようとして気配りしてくださっているのがしみじみ伝わってくる。ありがたい暖かい気持ちに包まれ、普段はほとんど飲まないお酒がどんどん進む。
魚志楼というこのお店のお料理は、すごかった。三国港から上がる新鮮この上ない魚は、いくら東京・築地に日本中の良いものが集まるといってもやはりちょっと違う。そして京都で修業なさった板さんの炊いた鯛のあら煮、これがほんとうに凄かった。こういうところに、関東圏と京都文化圏との違いを痛感してしまう。
すっかり良い気分で宿に戻った我々二人とも、布団に倒れこむとたちまち深い眠りに落ち込んでいってしまった。
翌朝、ほんとうに清々しい空気と日差しを浴びながらゆっくりと出発の支度をする。またしても早起きしたKさんが僕のKSSもしっかりチェックしてくださっている。すみません、ありがとうございます。今日はJ君も休暇を取って途中まで一緒に走ってくれることになっている。遠くからも聞こえる野太い排気音が近づいてきて、カンリンSR500に乗って彼が現れた。さわやかな連休中らしい天気の中、3台で調子よく走る。ああ、楽しいなあ、この3人が一緒に走るのは何年ぶりだろう。「ミラーで見るたびににっこにこですよ(笑)」とJ君に笑われるが、だって、良い空気でこの3人でKSSで、しかもここは三国で、楽しくて幸せでもう仕方ないんだもの。
まずは最寄りのホームセンターでボルトナットやらワイヤー、カラビナなど使えそうなものを買い込み、Kさんが昨日タイラップで応急処置してくれたところを出来るだけ修復し、スタンドも固定・解除がすこし楽になった。
それから10分ほどで、Saji Spaceというかなりおしゃれなカフェに到着。ここも素晴らしいお店だった。建築も内装も、調度もとても素敵、コーヒーも美味しい! ああこんなお店が東京にもあったらなあ。。。壁には船舶照明や、驚いたことにカッターのオールなどという普通ではお目にかかれないようなものまで飾られている。オーナーはレザークラフトもなさる若くチャーミングな女性なのだが、まさかこんな華奢な女性が海軍出身じゃないでしょ? 後から判ったが、昨日ご一緒してくださったNさんもここのオーナーも、三国高校のヨット部だったようなのだ。納得!なんだ、知ってればヨット話で盛り上がったのにね。
三国写真部のSさんもここにお見送りに来てくださり、KTさんもJ君と一緒に少し走って下さるとDUCATI SPORT CLASSICで来て下さった。4台で永平寺近くまで走り、美味しいお蕎麦でお昼を食べ、GWで交通量の多い道を(彼らのバイクでこの速度域では全然楽しい走りではないだろうに、しかもKTさんはかつての4耐ライダー、J君は2大陸を走破したツワモノだ)九頭龍・道の駅まで一緒に走る。
ここで、彼らとはほんとうにお別れだ。名残惜しいが、今日は高山経由で松本まで行かねばならない。しっかり握手し、再会を硬く約して別々の方向にバイクを向けた。
GTF3 安房峠
九頭竜”道の駅”で名残りを惜しみつつJ君とKTさんの二人と別れたのが午後4時近くだった。Kさんの読みでは高山を経由し安房峠を越えて松本まで4時間くらいだろう、と言う。いままでの4輪で高山〜松本を走った経験から自分としては、いくら今回が戦前車での移動だとしても乗用車の移動速度とそれ程劣るとも思えず、そんなに余裕を見なくても・・・と正直考えていたのだが、念のため宿泊予定のビジネスホテルに到着が午後8時〜9時になりそうなことを伝え、昨日とは反対に九頭竜渓谷をどんどん上る。
Velocette KSS Mk.1はフロントがガーダーフォーク、リアがリジッドというマシンだ。サドル型のシート下にスプリングがあるため現代の整備された道路ではそれほど突き上げも感じず、思ったよりもかなり快適であるが、コーナリングはやはりその車体の特徴をよく理解している必要があると思う。基本的には徹頭徹尾、後輪荷重での旋回に努める。フロントサスペンションは単純なバネであり、フリクションダンパーはあるにはあるが、殆ど機能を感じない。即ち、コーナー進入前に必要な減速は十分しておき、リアブレーキをわずかに引きずるようにしながらスッとリーンし、あとはスロットルを開けの一方通行でリアにトラクションをかけ続けていくような乗り方になると思う。もしコーナーに進入してしまってから奥でRがきつくなっているのに気付いたとしても、そこでアクセルオフにしてしまうと、フロントはインに巻き込むどころか、すーーーーっとアウトへはらんでしまうので注意が必要だ。しかし、その特性を生かす乗り方をする限りKSSはとても軽快に、ひらっ、ダダッ、ひらっ、ダダダッと気持ちよくコーナーを抜けていく。
あとで聞いたことだが、その様子を真後ろで観察しながらVincent Comet で走っていたKさんによると、KSSのリアホイールはまるでサス付きの車両のそれのように上下動したりしていたそうだ。しかし、車体の挙動はスムーズで、リアが跳ねている実感はまるでなかった。いや、そうさせないように意識して乗っていたつもりなのだから。でも、コーナー後半で旋回力を高めようとアクセルオンしていくと、フロントが入るというより、リアが少し外へ出ることで車体の向きが変わっていくような感覚があった。もしかすると好ましい範囲でのリアのスライドがあったのかもしれない。考えてみれば道理に合っている。このバイクが発売され活躍していた80年前のヨーロッパの道路は良くても簡易舗装で、フラットダートの部分も多かったはず。タイヤ性能も今とは比ぶべくもなく、前後とも常に微妙に滑っていたに違いない。スキーでいえば現代的なカービングで曲がるのではなく、昔風にテールの流し方で曲率を決めていくような走り方だ。
そんなことを考えながら楽しくワインディングを走りきり、有料道路(無料部分)を通りながら東海北陸道に入る。55〜60mile/hで順調に巡航、山々には夕暮れのアーベント・ロートも垣間見える。と、行く手の空にかなり黒い雲がかかっているのが見えてきた。インカムに「カッパ着た方がいいんじゃないですか?」というKさんの声が入った。「まだ大丈夫ですよ」と言った矢先にポツポツと雨粒が当たり始めたので、前言撤回、急遽ひるがのSAに逃げ込んでカッパの上だけ急いで着込む。早く距離を稼がないと、もう夕闇がすぐそこまで迫っているのだ。気温もまたぐんぐん下がってきた。
飛騨清見ICから高山清見道路に入り、高山市街の北を過ぎて松本を目指すころにはすっかり暗くなって、雨も本降りになってしまった。GSを探しながらR158を進む。午後6時半になって、やっとGSで給油。6.5ℓ入って、これは計画どおり。これであとは松本までガス欠の心配はないだろう。すっかり冷えた体をコンビニのコーヒーで温め、いよいよ安房峠越えが始まる。現在は安房トンネルができたので、湯の平に至る極めて厳しい峠道は迂回できるようになってはいるが、トンネルに至る前は真っ暗な細いワインディングだし、峠の先は上高地に至る釜トンネルの直下、そこから梓川に沿って松本まで狭く曲がりくねった道が続く。
雨はどんどん激しくなってくる。KSSのヘッドライトは、オリジナルのものよりは実用性を重んじて(?)少し後年のルーカスのものに換装してあったのだが、この状況ではそれは行灯のごとくの能力しかなかった。一定に真っ暗ならまだいいのだ。一番困ったのは、対向車とのすれ違いである。ボブ・ヒースの5エアホールタイプのシールドはホックでジェットヘルメットに固定されており、跳ね上げることができない。雨粒と低温で次第にシールドは曇り、やがてどんなに呼吸や角度を工夫しても一面の曇りが晴れなくなってしまった。そこへ対向車のヘッドライトが当たると、シールド一面に乱反射してしまい、しかも対向車が通り過ぎると今度は一面が真っ暗で目の暗順応が間に合わず、その先の道がどうなっているのが全く分からなくなってしまう。止むを得ずほとんど失速寸前まで減速し、やっとセンターラインかガードレールが見えたところでドコドコと這うように進んで行く。
R158はいよいよ高度を上げ道幅は狭くなってくる。雨は強く、とうとう路肩に「気温3℃」の表示灯が見えたあたりで、視界は全く効かなくなってしまった。仕方なくヘルメットからシールドをかなぐり捨てる(若干の脚色ありw)。これで雨粒は直接顔に当たるようになるが、視界ははるかに効くようになった。やれやれ、と登りつづけると、ふっと排気音が高くなったように思った瞬間、インカムから「マフラーが落ちた!」とKさんの叫び声が聞こえた。すぐその先の左側に待避所があったので、そこにバイクを寄せる。が、僕のKSSは例のスタンドスプリングが吹っ飛んで以来ワイヤーとカラビナで固定されているので、ひとりではスタンドを立ててバイクを降りることができない。心で手を合わせながら、Kさんがマフラーを回収してくださるのを待っていた。
「運がいいですよ、マフラーは道の真ん中に止まって、その後クルマが5台通ったけど、みんなマフラーをまたいでいってくれたので、踏まれずに済みました」ハアハアいう息遣いとともに、Kさんの優しい声がインカムに聞こえた。本当にすみません、ありがとう、ありがとう。場所は安房トンネルの直前だった。エキパイのみの直管で走りだす。音は多少大きくなったが、走行に支障ない。なんだか、KSSを旅仕様のKTSにしたのに、直管になって最後はKTTみたいだな、などとちょっと可笑しくなるが、トンネルを抜ければまた雨と暗闇と狭いワインディングである。左に閉鎖中の釜トンネル入り口が不気味な姿を見せている。
以前、クルマで何度もここへ来ている。たしかに今でも険しい道ではあるが、元々ラリードライバーである自分からすればここもまた完全舗装の立派な国道である。不気味だとは思っても道が怖いとは思ったこともなかった。しかし今回、80年前のバイクで今日のような雨と闇と暗いライトという条件で走ってみると、日本でも有数の秘境であったこの山あいの道の持つ危険性は、80年前とその本質は何ら変わっていない、ひとつ間違えば命を失うような場所なのだと強く感じた。
慎重に、手で探るように、少しずつ降り続ける。素掘りの不気味なトンネルと片側絶壁の道を、沢渡(さわんど)、前川度(まえかわど)と過ぎ、釜トンネルが一般車通行禁止のため上高地に入るバスに乗り換える駐車場(だと思われる辺り)を超え、新島々の駅(真っ暗で、多分そうだと思われる建物)を過ぎ、そうしてようやっとコンビニの灯が見えたときには本当に(ああ助かった、生きて山を降りてきた)という思いになった。とにかくバイクを止め、ガタガタ震えながらKさんとコーヒーを飲む。お互い多くを語らない。小休止しただけでまた走り始める。いつしか雨も止み、暗い国道を見違えるように調子よく飛ばす。ほどなく松本ICを超え市内に。街は僕らがそんな思いで山から命からがら降りてきたことなんかまるで無かったように平穏で明るく暖かい。その違和感に面食らいながらホテルのパーキングにバイクを滑り込ませ、ヨロヨロと部屋へチェックインする。そこには乾いたシーツ、暖かい空気。時計を見るとKさんが見込んだとおりの、ジャスト9時半だった。
GTF4 800mileのチェッカーフラッグ
松本駅前のホテルにチェックインし、軽くシャワーを浴びて普通の人(笑)に戻ると、駅近くの信州料理屋さんでKさんとささやかな祝杯をあげた。ついさっきまで3℃の氷雨、視界0のなかアルプスの峠を越えてきたのが嘘のようだ。しみじみKさんとこの旅を語り合いながら、あらためてなぜ自分が今、Velocette KSS というバイクに乗ろうと思ったのか、それで何をしようと思ったのかと考えていた。
50代も半ばを過ぎ、仕事もある程度成し子供達も成長して家庭も落ち着き、久しぶりに再開した4輪のヒストリックレースも(生意気だが)大体分かってきた今、なにか無我夢中で走り続けてきた今までと違ってちょっと周囲を見回すというか、あれ?自分って、結局何をしてんだ?何をしたと言えるんだ?などと戸惑ってしまうような感覚があるのだ。生きるため、家族のため一心不乱に働いてきた企業戦士が定年を迎えて、自分を見失いすべきことがわからなくなるという記事を読んだことがあるが、すこしそれに似ているのかもしれない。今までの自分を取り巻くものをかなぐり捨て、一からなにかを始めればまた否応なく集中し無我夢中にはなるのだろうけれど、現実的にはやはり(言い訳に過ぎないとしても)家族を考えるとなかなか難しい。それに、自分が「夢中になるため」に現在の安定を捨てるのは、やはりある種のわがままにも感じる。退屈だなどと贅沢言ってるんじゃないよ、ということだ。でも、男ってそんなものかもしれない。あの「大草原の小さな家」のインガルス父さんも、やっと暮らしが安定するともっと未開の西へ行きたくなっちゃって母さんをこまらせていたんだから(笑)
そんな折、TRカンパニーにこのKSSはあった。ガーダー・リジッドには漠とした憧れがあったものの勿論乗ったこともなく、どんな乗り物なのかは全く未知だった。しかし今自分の周りには、Velocette KTT を駆ってヒストリックレースで大活躍中のTR高橋社長を筆頭に今回同道いただいているKさんはVincent comet, Ariel VBをストリートで使いこなし、サーキットではMatchlessでランディ・マモラのように疾駆している。他にも心底楽しそうに戦前車ライフを送っている先輩たちがたくさん居るのだ。一人っきりでツテもノウハウもなく乗るのではない。戦前車に乗る環境は抜群と言える。しかも、自分に現実的に残されている時間は、それこそ良くて20年ほど。ならば、乗りたいなら今始めるしかないじゃないか。そして、この貴重な名車を僕が20年預かり、きちんと走る状態で次の担い手に渡していく役割をやらせてもらおう、と決心した。
果たして乗ってみて心底驚いた。これが、齢83を数えるバイクだろうか?軽い・速い・気持ちいい(笑)当時画期的システムだったべベル駆動のOHC, 世界初のポジティヴストップ・ペダルシフト(それまではハンドチェンジ)、さすがマン島TTを制したマシンの系列スーパースポーツだ。その性能はこの旅でも遺憾なく発揮された。その一方、古さを感じざるを得ないのは、まずブレーキ性能、電装系の弱さ、リジッドフレームによる振動からの弊害(ただし今回のボルト類などの破断・脱落はエンジンヘッドとフレームを繋ぐメンバーの金属疲労が原因で往路は異常振動が出ていたと考えられ、それがなければ今回ほど各部が緩んだり落ちたりはしなかったと思われる。しかし、リジッドゆえそれらの定期チェックとメンテナンスが必須であるとも言える)だろう。
メーカーはそのバイクの性能を、「いつでも」「どこでも」「いつまでも」発揮できるようにサスペンション、タイヤ、電装・電子制御などを開発・熟成してきたのだろう。その恩恵で、現行車はセル一発で「必ず」エンジンがかかり、ポイントも磨く必要もなく、航続距離も長く、氷雨でもグリップヒーターがあり、安全に快適に早く走れるようになっている。これは、紛れもない進化である。が、同時にその対極にある戦前車は、では単に「苦労を楽しむ」「面倒を威張る」「遅いのを味と言い張る」乗り物なのだろうか?
もちろん否!である。現行車が安定・安全・高性能を得た引き換えにマスクされてしまったバイクの持っている本質の楽しさ、ガスが気化して火花が飛んで燃焼が濃かったり薄かったり点火タイミングが遅かったり早かったり、気圧が低かったり高かったり路面が滑りやすかったり凹凸があったり、というような諸々がダイレクトかつ濃厚に味わえるのがpre-warモデルなのだと思う。
初日、車体は満身創痍ながら基本的には絶好調のKSSで九頭竜を楽しく下り、道の駅で一服しながらKさんは言うのだった。「こういうの、最高に楽しくないですか?(笑)」いや、何から何までやっていただいている自分が『こういうの楽しいっ!』って言うわけには行かないでしょう、と言ったが、実は(全部やってもらっておいて、は棚に上げて)本当にこういうの、最高に楽しいのだった。なにかあっても対処して走り続ける。これはもう耐久レースでゴールを目指す醍醐味に通じる究極の楽しさだ。
大げさにいえば、自分の人生のこれからのステージをこのKSSとならドキドキワクワクしながら夢中になる時間を共にできる!そう確信できた旅になったのだった。
3日目、朝の爽快な空気を吸いながら女鳥羽川沿いを少し歩き、大好きな”まるも”でモーニングという贅沢をしてから出発の準備をし、今日は松本から一気に小金井のTRカンパニーを目指す。さすがに各部の修理・メンテが必要なのと、来る22日のFoSTに向けサーキット装備をお願いするための入庫だ。オイルチェックと給油をし、松本ICから長野自動車道・中央自動車道と一気に駆け抜け双葉SAで給油、笹子トンネルの前の長い勝沼の登りにかかる。55mile/h巡航で登っていくと、ちょっとアクセルのツキが悪い感じが出てきた。と、トンネルの手前、登坂車線が終わるあたりで突然右ハンドルと右ステップに振動が現れた!
走りながらエンジンヘッドステーのフレーム側マウントを触る。外れてはいないようだ。もう登りも終わりなので、次のPAまで行けるか様子を見ることにし、できるだけ負荷をかけないように滑空するように走る。
事態はそれ以上悪化せず、なんとか”はつかり”PAにたどり着く。チェックしてみると、なんと件のステーの左側にクラックが見つかった。破断しているようだ。これはKさんでもタイラップをもってしてもここではどうしようもない。また、アクセルのツキの変化は、軽いオーバーヒートだったようだ。それもあり、ここで休憩とした。Kさんは「ここのおにぎりが好きなんですよ」となにかの葉っぱで巻いたおにぎりを頬張る。
エンジンが冷えたころを見計らって再スタート。その後はそれ以上のイベントは無かった。スミス・メーターの距離計は800mileを後にしたことを示している。気持ちはもう耐久レースの最終盤だ。ここまで走ってこれたのはライダーだけの力では「まったく」ない。もちろんKさんの助け、そして車両を整備・準備してくれたTRカンパニーの社長、メカニックのGさん、その後ろには同じように旧車を楽しんでいる仲間達、そんな全ての人たちのチームが待っているゴールラインへ、ピットまで、マシンを必ず届けるんだ!・・・そんな感慨で走っていると、料金所のおじさんもサーキットのポストのマーシャルにも思えてくる? ゴールした後のクーリングラップのように「ありがとう」と手を振って通り過ぎたら「何なんだ?」と変な顔されるかな・・・
カニ目SD-2 [クルマ]
先日、UKからセイフティハーネスが届いた。
TRSという、初めて使うブランド。
HANS deviceの使用を前提に、肩のハーネスが2インチ幅、バックル近くの腹部は3インチのウェビングになっている。(腰のウェビングは3インチ) これでハンスがよりフィットするとのこと。
航空機タイプのカムロック式バックルは非常に小さく軽くできているが、TAKATA製の重厚感さえ漂わせる製品精度に比べると、ややちゃちい。(笑)
前回のシェイクダウン1 で感じた、ステアリングホイールの径の問題。
急遽、同じMoto-Lita 製の11インチを手に入れた。同じモト・リタならボスを変える必要もないし、もしうまく行かない場合に戻すのも簡単。
もともと使用していたモト・リタも13インチ・レザー巻きと小さ目のものだったのだが、11インチ径はさすがに小さい。
これは今スーパーセブンで使っているMOMO, SPA design, RaceTech らのステアリングと同じで、90年代くらいまでのF1マシンのハンドルと同径なのだ、といえば、いかに小さいかが分かってもらえるだろうか。
はたしてそんなに小さいものがカニ目ドライヴィングに合うのだろうか?
リアルタイム交通情報では、今日こそ3,4の上下線、C1もオール・クリアである。行くか!(笑)
ハーネスの感覚は(まだハンス着けてないが)良好。ステアリングも膝とのクリアランスが取れてポジション的には非常にいい。なんか懐かしいポジション。ここまでくると、やはりセブンのコクピットポジションに酷似してきている。
メーター視認性がややスポイルされるが、タコメーターのレッドゾーンあたりは問題ない。
走ってみると、目地段差でステアリングへのキックバックがスゴイ。
これを押さえつけようとしっかり握ってしまうと、大変な力が必要になってしまう。前回記事で書いたように、目地で飛んでも進路自体は保たれる(直線では)ので、こういう場合はゆるく握って手の中でステアリングを遊ばせてやるほうがよさそうだ。
ここで、何故あの頃のスポーツカーたちが大径のハンドルが多いか、またそのスポークが繊細ともいえる細いものや、ワイヤー製のものまであるのか、分かった気がした。大径で華奢なスポークを持つステアリングホイールは、やはり剛性が低いだろう。ハイグリップタイヤで高性能シャシーを持つマシンでは正確に操縦するには剛性の高い、たわまないステアリングホイールが欲しいが、こういうサスペンションで道路の質も良くない当時は、激しい路面からのキックバックを、その華奢なスポークがたわむことで、ステアリングリムを握っている手にダイレクトに伝わらないように逃がしていたのではないだろうか。
据え切り時にはさすがに重い11インチ モト・リタ。走り出してしまえば操舵力は軽い。
もうちょっとリムが太いほうが把持しやすいが、今度の走行はこれで行ってみよう。膝と干渉せずに回せるメリットは大きい。
カニ目シェイクダウン [クルマ]
来たるSIDEWAY TROPHYにエントリーすべくエコス・カーズでモディファイを受けたカニ目くん。
エンジン・ミッションに変更は無いが、シートポジション、車高、Fブレーキ、タイヤが変更を受けている。まずはそれらの変更がどのような変化をもたらしているか、ドライバーも出来るだけ事前に慣れておく必要がある。
とは言っても一般公道では勿論サーキットのようには走れるはずもなく、ましてややり過ぎてスピンやコースオフなど以ての外であるのは言うまでもない。それでも、できる範囲内で少しだけハイアベレージで荷重をかけて挙動を見ておけたら。。。
ということで、カニ目シェイクダウン。
一人静かに大騒ぎして(?)調整したシート。背中を丸めぎみに沈み込むと、その分足元が窮屈になるが、膝を曲げて調整。ハンドルもちょっと近いが、遠すぎるよりよほどOK。
走り出してすぐ気がつくのは、リア周りのホールディングが向上していること。0発進の際にも以前より剛性感が高い。車高調整で相対的にサスペンションが少し硬くなっている効果が出ているのだろうか。
トラクションが掛かった際もリアアクスルがワナワナする感じが無くなり、ラジアスロッドもかなり効いているようだ。
ノン・シンクロの1速を気遣い、早めにシフトアップして、3速くらいから全開してみる。
直進性は問題なし。だが目地段差などの影響はやはり車高が低くなりバネレートが高くなった分、いやバネレートは変えてないのだから、レバー比が変わったためと言うべきか、で、時にリアがフルバンプすることがあり、その際は15cmほど進路が横っ飛びにズレる。が、それ以上の問題は出ない。
コーナーの進入もとても素直になっている。
初めてこのカニ目くんで首都高に乗った際は、例えば4号線登りの、甲州街道から代々木へと向かう北参道の右コーナーなどでは、ステアに伴うロールがユラユラと1発では収束せずクルマをラインに乗せるのに冷や汗をかいたものだった。
その後、この手のクルマは、ステアを出来るだけ丁寧にサスの縮みに合わせて切って行き、外側サスを揺り返しが起きないようにジワッと沈め、沈めたらその姿勢のままコーナーを回りきるのがいいだろうと考えた。そうしないと、例えば進入でガッとステアして、ぐらっとロールして、そのために一瞬アンダーののちリアが流れそうになり、それに修正舵を当てる、なんかすると、ピッチング・ローリング・ヨーがそれぞれ収まらずに物凄く怖い思いをすることになるだろう。
これは、カニ目のサスペンション構造が大きく関与しているのだろう。
カニ目はフロントこそ(アームが短いとはいえ)ダブル・ウィッシュボーンでなかなかの接地性を見せるが、リアアクスルの位置決めは1/4楕円リーフスプリングによるリジッドサスである。これがあの、ボディとアクスルが別に動くような独特の挙動を生んでいるのだろう。だから、修正舵に対してもその反応が現れるタイミングがドライバーの感覚とのズレを生み、スピンモードが収束せず発散方向に行きやすいのではないだろうか。
それだから、カニ目でのコーナリングはそのようなことが起こらないように、じわっとステアを入れ、一発でロールを決めて、それ以上縮んだり伸びたりしないように外側サスを沈めてそのまま修正舵が要らないように回っていく、という乗り方が合っているのだろうと思っていた。
用賀ランプから3号線登りで直進性やステアフィールを試しつつ、カニ目くんはいよいよ都心環状線に入って行く。
谷町JCTで初めて少しFブレーキを掛けつつコーナーに進入していく。
まず気づくのが、フロントの入りが格段にいい事。そして、それに続くロールが程良く踏ん張り、コーナリングGが掛かり始めリアが少しブレーク気味になることでそれまでよりちょっとオーバーステア気味になる挙動がかなり減少しているようだ。
今回の車高調整とラジアスロッド追加、でクルマ全体の剛性感がアップし、そしてCR65というバイアスタイアがこういうクルマにとても良くマッチしているのだろう。タイアのグリップ限界もいたずらに高くなく、ゆっくり粘りながら流れてくれているようだ。
いい感じで都心環状線の連続コーナーを抜けていく。
勿論それほどの速度ではないが、今までの、いかにも「古いクルマをそれなりにドライブしている」という感じから、ちゃんとスポーツドライビングの領域に入ってきている。
水温も低め安定、SUツインも温まってきて付きもいい。
ただ、ステアリングホイールだけは、もっと小さいものに変えてもいいかもしれない。
ミッションを労わりつつ、全体を丁寧に、荒い操作をしないように泳がして行くと、このミニマムなスポーツカーの真髄が見えてくるようだ、と言ったら言いすぎだろうか。。。
走り始める直前の道路情報では3、4、C1はオールクリアだったはずが、江戸橋JCTから代官町まで事故渋滞になっていた。江戸橋から一旦6号方面に抜け、箱崎JCTを利用してUターンし、またC1から4号下りに入る。代々木の連続コーナーを丁寧に抜け、北参道の左コーナーを抜けて、この日のシェイクダウンを終えクーリングラップ(?)に入る。
いやあ楽しい!
フル・オリジナルの、リアをゆっさと上手に揺らしながらふんわりとオープンエアモータリングするのもカニ目の醍醐味だろうけれど、トップを装着しホールドの良いシートで狙ったラインに乗せていく、上質な集中力を要するスポーツドライビングが、やはりボクは大好きなのだなあ。
ニマニマしっぱなしで帰宅、低くなった車高のためちょっとだけガリっと排気管のジョイントを縁石にこすりながらガレージに入る。うーん、カニ目くん、なかなかやるじゃん!
ド素人丸出し [クルマ]
来たるSIDEWAY TROPHY にエントリーするべく最小モディファイが済んでカニ目くんがガレージに帰ってきた。
作業項目は
・ロールバー制作
・バケットシート取り付け
・ハーネスアンカー増設
・AFFF消火器設置
・前後トーイングフック増設
・ゼッケンサークル入れ
・F ディスクブレーキへコンバート
・R ラジアスロッド増設
・フューエルラインをNISMO電磁ポンプの系統へ一本化
・車高調整
というもの。
これに合わせ先日はファクトリーにお邪魔してシート合わせがあった。
そのシート合わせの際、かなりシートバックが直立しているものだったので、まず出来るだけ低く、後ろに仮組みしていただいた。そのためスライドレールは不使用に。
ポジションを確認すると、やはりかなり背中が立つ。同時に頭の位置が高くなり、(ハードトップを使う予定なので)ヘルメットを被るとかなり窮屈かつ前方視界にトップ前縁がかかってしまいそうだ。
シートの前端を3段階ある最低から中位置に変えていただいて再度ポジション確認。
うーん、もっと背を倒したいが、姿勢を少しうずくまるように座り、浮いた腰とシートの間はクッション増設で調整してみようか、ということで、この位置で付けていただくことにしたのだった。
納車され、シートクッションも届き早速またポジション確認。
ううむ、やはりシートバックが立ってるなあ。前端をもう1穴上げてみようか。。。
まずはシートのブラケットとシートを固定している4本のボルトを緩め・・・
と、このボルトが一般の六角ボルトではなく、アーレンキーで回すタイプ。で、右前のボルトにアーレンキーが入る隙間が無い。仕方なくベース部分をフロアに留めている4本のボルトナットを外し、シート全体を外す。
で、一段後傾させてから組み直そうとみると、あれまロールバーのベース部分にシートの背が当たってしまい、もとのフロア穴とシートベースが合わない。
はいはい、と今度はブラケットの前後調整穴を1コ分前にシートを付け直したが、まだ微妙にネジ穴が合わない。もう一回、更に1コ分前に付け直す。
これで、1ノッチ後傾させるため2ノッチ全体を前に付け直したことになる。今度はフロアの穴とベースの穴も一致できた。
やれやれ、とボルトを差し込みナットを締めて行く。
ご存知のように、クルマのフロアは真っ平らな一枚板ではなく、場所によってコの字断面だったりボックス断面だったり、かなり複雑に成形されている。今回のシートベース用の穴も右側2箇所は平、左前がボックス、左後ろがコの字断面の部分に空いていた。よってボルトの長さも右側2本は短く、左前が一番長く、左後ろがその中間くらいにカットされていた。
まずはその、位置と必要なボルト長さの関係を把握せずに「ここだったハズ」と締めていったら、こっちは長さが余り、あっちは足りずにナットが掛からない、とめちゃくちゃ。ああまったく!!と自分に腹を立てつつもう一回ボルトを正しい位置に戻して固定する・・・・のだが、左後ろのコの字の部分で、どうしてもコの字の内側(に少しコーキング剤のようなものが付着しているのもあり)に干渉してナットが掛からない。あーだこーだしているうちに、今度はナットが一個行方不明になってしまった。
コンクリート床であり、寝板の代わりに使っていた段ボールしかない状況で、どうしてナットが無くなってしまうのか。。。いくら探してもナットは見つからず、その日の作業は止む無く中止となった。
翌日、ホームセンターでM8のナットを購入、締めてみると、すぐにトルクがおかしくなる。なんとピッチが合わないのか??インチ規格か?? ああ、これでこの日も作業中止。
さらに翌日、インチネジはウィットワースとUSがあるはずなので、今回はもうミリ規格のボルトナットのセットごと買ってきて一箇所替えてしまうことにしてようやく作業完了。
「シートの背を一段倒したい」がためにこれだけ無駄な作業と、挙句にナット無くすという事態になってしまった。
こういう事態を招かないためには、最初のシート合わせのときに「忙しいメカニックさんにあまり手間を取らせてはいけない」などと余計な遠慮などせず、きちんと納得行くまで何度でもやり直して決定するのが、最終的にはやり直しをせずに済ませる方法であり、ひいては(自分でやったら元にもどらなくなりました(^^;;などといってまた工場に持ち込んだりして)メカさんをうんざりさせる事もないのである。
嗚呼、こういうことはSEVENで長谷川モータースさんに散々迷惑かけて学んできたことではないか。まったくド素人全開である。まだまだ修行が足りません。へい、おあとが宜しいようで・・・・
SIDEWAY [クルマ]
今日1日は近年に無く年の瀬感たっぷりに交通量の多い都内を這いずり回った。
まずは小金井のTRカンパニーに。 先日の袖ヶ浦フォレストレースウェイで開催されたSide Way Trophy Festival でヴェロセットKTTという、ガーダーフォークにリジッドアクスルというヴィンテージなバイクで弱テールスライドを伴って疾走する社長の雄姿を撮影したので、フォトフレームに入れてプレゼント。
と、ピットでは、おお!我がDUCATI 900SS MHR -750S-がリフトに上がっていた。 見ると既にリアショックアブソーバがQUANTUMに替わっていた! ほぇ~、カッコいい(笑)後藤さん、忙しい中ありがとう。
一旦自宅に戻り、子供のVn.レッスンの送迎を終え、そのまま今度はブログに紹介されていた“ラリージャケット”をゲットしに用賀のECOSSE CARSへ。ウィッチョとマーニという、かわいいヤンチャなレトリーバーたちの歓待を受けつつ、前回のデリバリーでは早々に完売したというジャケットをマンマと手に入れほくそ笑む。と、「カニ目、進んでますよ。」との声が。しかも、「あれ、948㏄じゃなかったです。1100ですよ。」と。え~~??
ECOSSEの金子さんによれば、ファクトリーに我がカニ目を移送中の時点で既に“こりゃ950じゃないな”と思ったと。で、メカさんに「まずは素性を良く確認するためにヘッドを外して」と指示。開けてみると、案の定、ピストンは1100用が入っており、しかもヘッド面研までされており、圧縮比も9.5くらいにはなっているとのこと。ありゃま!!
バルブの当たり不良が2気筒に見られた以外にはエンジン自体の状態は良好であったため、まずはこのエンジン+キャブ調整で行きましょう、あとはフロントブレーキのディスクコンバート、痛んだブレーキホース取り替え、シングルロールバー、タイヤ・ホイールをレギュレーションに合わせていく。スタビも今回はあえて細いままでやってみましょう、とのことだった。エンジンに大きな問題が無かったため作業も予定より早めに終わりそうとのことだった。
さて、ここまで読んでいただいた方は、「?? カニ目で一体ナニをする気だい?」と訝しんでおられることでしょう。
実は去る11月にTRの高橋社長がヴェロで袖ヶ浦を走るというのを聞きおよび、かねてからサイドウェイトロフィにも袖ヶ浦フォレストレースウェイにも非常に興味があったため、見物に行くことにしたのだった。
当日は FESTIVAL OF SIDEWAY TROPHY と銘打って丸々一日をヒストリックカー/バイクレースで楽しもう、エントラントもスペクテイターも、あたかもGOODWOOD FESTIVAL OF SPEED のようにツイードなどの英国調コスプレで気分を盛り上げよう、というもの。ボクも我が意を得たりと仕込み十分で現地に乗り込んだ(笑)
レースは素晴らしいものだった。本場スコットランドからバグパイパーを招聘してのオープニングセレモニーがあったり、日本のレジェンドレーサー、生沢 徹さんも自身のPORCHE911Tを持ち込んでGPレーサーの技を披露してくれたり、出場者も観客も趣向を凝らしたオシャレな姿でパドックは本当にミニ・グッドウッドのようだった。
そんな、夢のようなレースを一日見ていて。。。
想いは日一日と募っていった。もう止まらない、そうだ、やはりあれが自分の住処だ! 柵のこっち側ではない、コースの上に、戻るんだ。。。。
ヒストリックレース参戦! とはいっても、現実的な悩みは色々、相当であった。ここでは詳細は省くが、結果として、余生の夫婦ドライヴのために?そっととっておこう、と思っていたウチのカニ目くんに、いつでもノーマルロードバージョンに戻せる範囲でレースのレギュレーションに合わせたセットアップを、サイドウェイトロフィ主催のエコス・カーズにお願いして、とりあえず走り出すことにしたという訳である。
(注・イメージ画像w)
2013シーズンのサイドウェイは5月4日と11月3日、テストデイが3月にあるという。
果たしてカニ目でのサーキット走行、語弊を恐れずたとえて言えばヴェスパでの全開走行のような、新たな楽しみが見いだせるだろうか。自分へのチャレンジである。
RIDERの紋章 [バイク]
イタリアの都市国家の紋章や、ヨーロッパの王家の紋章、それらに端を発する、現代の企業のICに使われているエンブレム(cf. Alfa Romeo, Porsche, etc)。あるいはスタジオ・ジブリ系のあちこちに登場する紋章(宮崎 駿さんも無類の紋章好き)。
そもそもは自軍の識別のために兵の盾に固有のマーキングをしたのが発祥とされる。それらはやがてルールが厳格に決まり紋章学に発展するが、現代のエンブレムではその紋章学の基本から外れた「違反紋章」も数多い。思うにこれらはデザイン上の理由から、紋章ルール違反であってもキレイな方を採用していったからであろう。
そのように元々は単純な色や幾何学的文様の組み合わせ(現代の競馬の勝負服のような)で、識別が主目的であったのだが、現代ではそのエンブレムは個人アイデンティティ表現のひとつといえるであろう。いまはエンブレムを、エンブレムのカタチで使うことはあまり無いだろうけれど、そのような個の表現がカタチを変えて生きていると思う。
たとえばF1ドライバーのヘルメット。マシンはチーム・スポンサーカラー。レーシングスーツも同様。となると、ドライバーの個を表現するところはヘルメットペイントしかない。強いレーサーのヘルメットカラーリングはそのパフォーマンスと重なり強く見るものを印象付ける。
で、ボクもヘルメットを塗ってもらった(笑)
お願いしたカスタム・ペインターは Stupid Crown のMUNE さん。West TOKYOのモーターシーンの牽引者にして超・多忙の売れっ子ぺインターである。その作品は、かつてリトモ・セレーノ制作のカスタムバイクやレーサー、ボートラップのカスタムバイクなどで当時はMUNEさんの仕事とは知らずに「これ、いいなあ。。」と見ていたものだった!
カスタムペイントといっても、その手法には大きく2通りになるだろう。
その1.は、オーナー(やスポンサー)が明確に細部までデザインを決めて、その通りにペイントしてもらう場合。
その2.は、オーナーの希望・意向・趣向を取り入れつつぺインターがデザインの細部を決めて(あげて)完成させるもの。
クライアントがアマチュアの場合は、完全な誰かのレプリカペイントでなければ、大体2.の手法によるのではないだろうか。その場合ぺインターは塗装の技術だけでなく、デザイナー、アーティストの領域の才も求められるであろう。
MUNEさんとの打ち合わせ時、モチーフの核となるネコ(の紋章)のラフ絵はお渡ししたものの、あとの構成は、4時間に亘るセッションの中で、自分のクルマ遍歴、モータースポーツ歴、モータリング観、その他の趣味・趣向などをお話した。やりとりの中でMUNEさん自身のお話もたくさん聴けたのだが、大変興味深い話も多く、またモノのとらえ方、感じ方にも共感するところ大であった。
それにしてもMUNEさん、干支でひとまわりも若いはずなのに、なんでピンポイントに話が合うの?
ボクの中学・高校の頃の憧れの車両なんて話が合うって、MUNEさんまだ小学生でしょ~
いったいどんな小学生だったのか(笑)
でも、そんな生まれながらに血管に20W―50のオイルが流れているようなDNAは、MUNEさんの息子さんにもしっかり受け継がれているようである(笑)
お願いしたのは、
1.ネコと魚のホネのモチーフを中心に、全体に紋章のような印象。
2.上部か下部に、リボン帯のなかにラテン語のモットーを入れる。
3.中心線にコブララインのような太い2本線?
MUNEさんからの提案は
1.ベースカラーはPIGEON BLUEはどうでしょう?
2.ネコは銀箔、モットーは金または銅箔をベースでは?
3.コブララインは無いほうがいいかも。
PIGEON BLUE とは、古典的な微妙な青緑色。
すごくニュアンスに富んだ色でとても気に入って即!OK!
じつはこれ、MUNEさん自身が自分のモト・グッチに塗りたいと思っている色だそうだが、今回なんとボクも使ってもいいよ、と(嬉)
ボクの現有車両のどれとでも、補色的な取り合わせでマッチングOKだし、4輪とは同系色でこれまたOK!
さて、そんなやりとりをしながら作業は進み、とうとうこのように完成した!!
これをMUNEさんのBlogで見た方のコメントに、「まるで海賊旗のよう・・・」というのがあり、まさに我が意を得たりと膝を打つ。そう、いくつになっても海賊ごっこしてる男児のように「いつでも突進」なモータリングライフで行きたいものなのである。
箔貼りの上にペイントというのが良く分かる。さらに、ネコの眼はなんと螺鈿細工!!!
これだけの仕事が仕込まれていてさらに驚くのは、その上のクリア層の薄さと平滑度!!
周囲の写りこみがすごく、そして全然たわまないのだ。ものすごい技術!!
ちなみに、モデルはこやつ(笑)
反対側にも凝った趣向が。
古い羊皮紙には潮?にまみれた染みのあとが。船に積まれていたのか、あるいは瓶にいれられコルクに蝋で封をされて海に流されたのか。
書かれているのは、実はL.v.ベートーヴェンが荘厳ミサ曲の楽譜の冒頭に書きつけた文言。
このヘルメット、実際の着用に際しての心配が一つ。
ゴーグルで行くかシールドをつけるか。
ゴーグルは雰囲気はいのだが、せっかくのペイントを隠してしまう。
シールドは、Antiques Cafe リュージさん推薦のBob Heath のコンペシールドをつけていたのだけど、これはグリフィンのフルフェイスヘルメットのシールドを思わせるベンチレーションホール付きで、70’sレースシーン風なのだ。それがこのペイントに合うだろうか・・・・
付けてみたら、問題なく合ったので一安心!
ネコということで甘くなりがちな印象に、このコンペシールドが良い塩梅に辛さを加えてくれる。
一個の中古ヘルメットが家宝ものになった。さあ、あとはこれを被ってこれからの自分のモータリングライフを充実させ、このヘルメットと紋章にヒストリーを刻みつけて行こう。
PS. MUNEさんにはもうひとつ、ヴィンテージジェットヘルメットをお願いしている。
こちらは、題して「先祖がえりメット大作戦」(笑)
マル先生 新作品
《彫刻動物園》
我らがエンフィ乗りロッカーズにして木彫作家のマルちゃんこと丸山達也さんも出展する展覧会。
《ROAD RUNNER RABBIT》
(作品の写真は会場の許可を得て撮影)
HONDA RA300 を彷彿とさせるモチーフの上に跳躍するウサギ。
それと対を成すように展示されていたのが
《ROAD RUNNER TURTLE》
こちらはACコブラ???
コブラなら決してカメさんではないと思われますがw
阿吽の対照を見せるこの2つの作品。ラテン語の格言 Festina Lente (ゆっくり急げ)という言葉を思い出す。
それにしても、いつもながら、いいフォルムだなあ。
このRACING LIFE を象徴するような2つが玄関の両脇にガラスケースに入って収まっていたら、LIFE RACER にとってなんて素敵な仁王像なのだろう!!!・・・・・・・・(遠い目。。。。)
こちらは前回の池袋西武で開催されたグループ展で初・お披露目だった
《LIFE RACER KAERU》
どうです、この威容! ほんとにいいフォルム。
マル先生の作品をずっと追って来た。
LIFE RACER シリーズはもはや完全に手中にし、今度の仁王像では生きものモチーフは継続なれど、また新たな展開を感じさせるものとなっていた。
以下は完全にボク個人の勝手な想像ですが、これからマル先生の作品はこれまでのLIFE RACER の流れは少しずつカタチを変えながら継続しつつ、それとはまた別に、きっと全く方向や表現の変わった(たとえば生きものモチーフから離れた)、でも一目してマルちゃんの作だとわかる、そんな新たな作品が生まれてくるのではないか?
今回の新作を見て、そんな風に感じた。
今後も楽しみです!!
SEVENの日 [クルマ]
こんな日にオープンモータリングしなかったら、いつするというのだろう?
ということで、今日はセブンで出撃。久しぶりに我がセブンの所属ファクトリー(?)長谷川モータースのある川越へ。
まずは、ずっと行きたかった伊佐沼近くの無添加手作りパンのお店へ。
ちょっと時間が遅く、もう少なくなってしまっていたラインナップから、いちじくパンやショコラフランスなどハード系を主に買い込む(笑)。
走っている間はとても気持ち良く、水温も80℃と低めくらいだが、渋滞に入るとじりじり紫外線に焼かれる。
懐かしい道を抜けて長谷川モータースへ着。と、なんと諮らずも我がチーム、HMCS のメンバーがうようよ!
セブンも結構来ていた。
この22号車は、がつてヒストリックレースを席巻した加瀬選手のロータスSr.3 レーサー42号車と同じカラーリング。42号は「あの車を作ったところで自分もセブンを作ってもらおう」と、ボクが長谷川さんの元を訪れるきっかけになった名車である。
そして、この濃・濃紺、ボクのミッドナイトブルーよりもっと濃い紺に赤のリップラインのブラバムカラーのクルマ。
この日初めて見た車両だったのだが、見た瞬間、「おおっ!?」とビックリしてしまった。
なぜなら、このカラーのセブンは加瀬選手の42号レーサーと同時期に、そのロードバージョンとして開発した長谷川さん自らのロータスSr.3 のカラーと同じにしてあったから。
やはりそれを知る人はみんな「あれ?透さんのセブン?」と言うそうだ。
こうしてボクの52号車(今はゼッケンナンバー入れてないが)と3台ならぶと、レースを始めた15年前当時の光景を見るようで、感慨深いこと限りなし。
もう一台。○木さんの新しい?Sr.3.
クラムシェルフェンダー、ロールバー無し、ベンチシートバック、後出しマフラー。
いい色、いいたたずまい。こういうのも、本当にイイですね。
店内から。
3代続く長谷川モータースの初代社長さん。
当時まだまだ珍しかったバイク、それも、アリエル!
この1枚の写真が、ボクがエンフィールドに乗ってみようと思った、その原点なのである。
これは3代めにして現・社長の透さんの雄姿。DUCATI 900SS MHR.
エンフィールドを見てもらっているWING FOOT のチーフメカ、ハギワラさんも以前これに乗っていたし、なんだかボクのクルマの面倒を見てくれる人には縁が深いバイクなのである・・・・・・・・。
名残惜しい川越を後にし、近年完成した圏央道・川島インターを初めて利用。空いた高速を気持ちよく走り、鶴ヶ島JCTのカーブに4-3-2とシフトダウンし、コォォォォオオオオオ!!!と加速して関越道本線へ合流!
あれ?午後のこの時間、太陽が左から射している。
??
いつから西が東になったんだ?
あ!
JCTのカーヴ進入のシフトダウンに集中しすぎたか?分岐を間違えて下り本線に入ってしまった(笑)
次のインターで降りてまた上りへ。高坂SAで○木さんにこのことをメール。
「そういえば昔、日光スピードパーク行く時に岩槻インターで同じことしてなかった?」と返信。
これだから昔の仲間はイヤだね。。。
所沢インターで降りて清瀬経由で小金井へ。
土曜の夕刻、かなり渋滞していて疲れた。日が落ちる直前にTRカンパニーさん着。
後藤メカニックと少々打ち合わせ。
小金井からホントはバニービーチ初挑戦したかったのだけど、時間切れにて、そのまま早稲田通りに入りアンティークスカフェ前を手を振って通過、一旦帰宅する。
午後10時、セブンをガレージに返しに行く途中でなぜかお台場方面へ。(?)
『国際展示場』駅というところが東京ビッグサイトの前だと思い込んでいたのだけれど、ビッグサイトの前にあるのはゆりかもめの『国際展示場正門』と言う駅であり、『国際展示場』と言う駅は臨海線で別だったのね。臨海線の駅のあたりは、ボク的にはゆりかもめの『有明駅』という認識でした。関係者の皆様、お騒がせしました。
そこから中央埠頭経由羽田、羽田から首都高でガレージへと帰還しました。
近場ばっかりだったけど、結構走ったね!御苦労さん。
Old Boys [バイク]
首都高で横浜まで。テスト結果も良好、まずまずのペースで走る。
みなとみらいから赤レンガ倉庫前を通り、大桟橋のJACK CAFEへ。
ここにはいかにも「デートということをしに来ました」という風情のカップルなど居て、なかなか新鮮(笑)
向いのSilk Centre ビルにあるアンティーク雑貨店で、ヒッコリーシャフトのゴルフクラブ(ドライバーと真鍮ヘッドのアイアン)を見つけて購入。壁掛けになるかな?
ランチのバーガーを平らげてまた首都高で都内に戻る。
午後、バイクでアンティークスカフェに行くつもり、というTouchくんと別れ、さて。。。
結局、その足でボクもアンティークスカフェへ行ってしまった(笑)
そして、出会ったお二人。
「近くにあった紅茶専門店に良く来ていたんだけど、そこが閉まっちゃって。で、雑誌に載っていたココに来てみたんだよ。」
Fさん、Rさんと仰るお二人は、古希を過ぎたというのが信じられない、カッコよさ。聞けばお二人とも日本のバイクの黎明期から今に至るまで、YDS2からトライアンフ、BMW R27などとずっとバイクに乗っていらっしゃるとのこと。
体は動かなくなってくる、持久力が無くなってくると仰いつつもキラキラ光る目の輝きはまさしく少年の頃と同じ光。今までずっと「乗り続けている」ということが、本当に素晴らしい。
お話させていただいていると、無意識に背筋を伸ばしてキヲツケしてしまう(笑)
BMW R27。
左サイドに、ドライブシャフトと同軸にあるキックアームを右足で踏むと、スロットル操作は左手の逆手になる。
このオールドBMWのお決まりの様式美に憧れるライダーも多いのではないか?
たおやかな物腰、柔和な笑顔、少年の瞳の光。
素敵なステキなモータリストの大先輩である。自分もこんな風になりたい、と強く憧れる。
午前は年若いTouchくんと過ごし、午後は大先輩と出会った。
思いもしない3世代間交流。
ステキないい休日になったな、と思いつつのカフェからガレージへの帰り、
すれ違ったロータス・エリーゼⅡの若いドライバーと眼が合い、手と目礼で挨拶。
セヴンとエリーゼ。人だけでなくクルマも3世代超えて挨拶と交流(笑)
それで、一体セブンの何をテストしたのかって?
ああ、それはここには書けません(笑)
GARAGE CAFE [バイク]
このガレージ、当初は時を同じくして始まったREOMの準備などにかこつけてエンフィ乗りたちが集まってワイワイ作業やおしゃべりをする機会もままあり、とても楽しかったのだが、その後諸事情により(謎)あまりそのような集まりを持てていなかった。
昨今、諸事情も解消し(謎2)、先日の試乗会に冷やかしに来れなかった人たちからもオファーを頂いたため、では!と久しぶりに ガレージ・カフェのオープンです!!(笑)
当日は「午後晴れる」との予報を裏切る生憎の冷たい雨。その中で、クルマに乗り換え、はたまたバイクで濡れながらも8人の仲間が集まってくださった。皆さんが持ち寄ってくれた浅草 緑の絶品唐揚げや、美味しいリーフパイ、はらドーナツ、パーコレーターで淹れたコーヒー(*1)、宅配ピザ(*2)などを囲んで、それはそれは楽しい夜になったのでした。
この日集まってくれたのは、阿佐ヶ谷Antiques Cafe に集まる面々と、なんとオーナーまで(笑)
これまでもセブンを手に入れた時、レースを始めた時、エンフィールドに乗り始めた時、とその都度素敵な仲間を得てきたのだけれど、昨年A/Cがオープンし、そこで知り合った人たちはこれまでと異なり、「乗ってるもの」のメイクスに関係ない結びつきな方々というところが、これまでと異なる。
乗ってる物も年齢・職業も様々、でも共通してみんな素敵で個性的。さらりとオシャレな人から、ビンビン・キメキメな人まで(笑)、其々自分のモータリングライフを素敵に展開している。
*1パーコレーターでは、大体雑駁なコーヒーしか淹れられず、キャンプサイトではそれもまた一興なのだが、この日のコーヒーはカフェ好きな皆さんにもご好評(^ ^)。 これはガレージのご近所のビーンズコーヒーさんの豆のおかげ。
この日のために、パーコレーターに合う豆を深入り・荒挽きで用意してくれました。
ここは自家焙煎の豆専門店。香りに引き込まれて入店してみると、なんとびっくり!ボクの中学・高校の同級生の方の弟さんがやってらしたという。。。
*2 宅配に訪れたジャイロに乗ったお兄さん。「一階ガレージ?どこだ?あれ?」と戸惑っていた。(笑)
思えば、自分のカフェ人生の始まりは高校生時代。
当時の自分の乗り物といえば、自転車。初めて買ってもらったセキネのスポーツ車をあれこれパーツを交換しては走りまくっていた。2台めに手に入れたのが片倉シルクのロードレーサー。当時から老舗のロードレーサー専門店の上野・横尾双輪館で組んでもらった。
横尾双輪館の館主?”ドクター”こと横尾 明さんの弟さんの、今は亡き横尾俊夫さんによく面倒を見てもらった。その俊夫さんに連れられて行ったのが自転車仲間のマスターが経営する”WESTERN"というお店。すぐにほぼ毎日入り浸るようになった。
俊夫さんもマスターも、大体自分の10歳年上。ということはみんなとても若かったのだが、当時17~18歳の自分から見ればもうすごい大人なわけで。クルマも持ってるしお金もあるし音楽でもなんでも、あらゆる造詣は深いし。
そんな人たちが中心の、カフェに集まる色々な年齢・職業・趣味の人たちと近すぎるでもなく冷たくもなく、絶妙な距離感で楽しく素敵な空間を作っていく常連客たち。それを、末席からボクも強い憧れをもって眺めていた。
コーヒー、ジャズ、蕎麦、自転車、バイク(まだ持ってなかったけど)・・・
DUCATI 350DESMO乗りのMさんは強烈にカッコ良かった。結構なお歳なのにいつも全身黒の革、パイプをくゆらしチーズトーストとブレンド。老舗の紙問屋の社長、いつも会社から「戻ってきて!」の電話があり、しぶしぶDUCATIで帰るのだが、そのキックが、かからない(笑)。
30キックくらいしてようやく轟然とエンジンがかかり、ババババンッ!と帰っていく。ああ、ボクの中で、たしかにあのMさんが人生で初めて出会ったCAFE RACERなんだな。
WESTERNには、齊藤さんという、やはりマスターと同い年な方が来ていた。当時からもう世界最高峰のロードレーサー、De Rosa でさっそうと現れる。自転車はものすごいエンスージアストであり、今日では日本でも指折りのトップ自転車人である。あまり表に出ることを好まれないのか。そうでなければ、多分色々な本や雑誌に記事が掲載されたり、原稿を執筆されたりしていただろう。
その齊藤さんとは、25年ぶりに横尾双輪館前で遭遇し、なんとそれが御縁で齊藤さんもエンフィールドに乗り始めるという・・・人生とは面白いものだ。そして、今ボクのDe Rosa も齊藤さんのお力を借りて、世界で一つしかない超・趣味的な自転車に姿を変えようとしている。
そんな、多士済々が、でもその才能や造詣の深さを誇示するでもなく淡々と集っているカフェ。今のボクはそんなところで根っこを育ててもらったと言えるだろう。
ああ、「生きるために」仕事をしなくてもいいのなら(そんな人、ほとんどいないが)、クルマ3台とバイク5台くらい止まれるパーキングを眺めながら語らいの出来るカフェをオープンしたいものなのだが。。。。(無理)
でも、今その夢にもっとも近いのが、A/Cであり、このガレージでのカフェごっこなのかもしれない。
Antiques Cafe Society [バイク]
A/Cのお客さん、TOKUさん差し入れの、なんと!「ニシンとカボチャのパイ」。
そう、あの魔女の宅急便に登場する、あれが現実にここに!!
みんなで頂きました。おいしかった~~~
エンフィールドを試乗してみたいと我がガレージを訪問のSSKくん。
いきなり350ハイコンプ+CRキャブの洗礼を浴びる(笑)
でも果敢に535も試乗。「イメージにある単気筒フィーリングそのもの」とのこと。
冷やかし1号、WTBくんもR/E体験。似合うね。
冷やかし2号、Chiemiさん。走らないつもりだったのが、つい我慢できず・・・
ヘルメットお持ちしましょうか?(笑)
なんとChiemiさん、この翌日、ご自分の350をハイコンプにモディファイ決定!すごい。
R/E 350、535、CB400Four、GB250.
ある日のロッカーズ。
宴会のロッカーズ。
A/Cのみんなで武蔵小山の From London Cafe へ。Ryuji氏興奮(笑)
アリエルとカニ目。
なんでボンネット開けてる?マスターが、「ボンネット開けて!!そしたら、”故障中”て止めてても大丈夫でしょ」だって。。。。
アンティークス・カフェはオープン1周年。これからもよろしく!カラダに気をつけてね。
Mini Dulles [GOODS]
じゃセカンドバッグ? 「絶対、ダメ! 許さない!!」と妻。
それでは、一体なにに財布やら携帯やらキーリングやらカメラやら印鑑やらカードやらスイスアーミーナイフやらサングラスやらを入れればいいというのだろうか?(笑)
というわけで、九州の Dulles Club さんに作っていただきました、Navy Mini Dulles.
Dulles Bag というのは男性のビジネス・ブリーフケースとしては定番の型。
そもそもはドクターズバッグなどと言われる型と言う説も。元・アメリカ国務長官のダレス氏が愛用していたことからダレス・バッグとして広く知られるようになったとのこと。
でも、オリジナルサイズではスーツに合わせるといかにもビジネスバッグ。
で、ミニサイズでつくってもらいました。
完成してみると、その上質な革、深い艶でスーツにはぴったりなのは思惑どおりだったが、これがボクの求める「ちゃんとした」感と「硬すぎない」感のバランスが絶妙で、ほら、プライベートライフのモータリングシーンにも問題なくマッチ!
嬉しい誤算でした。これからどんどん街に連れ出そう。
すごくキレイな革なので、最初の内は傷つくのが気になるだろうけど、大事に3年も使えばそれこそ世界にひとつだけの風合いが備わってくる、と思う。
Maru's Exivision
(以下、作者の許可を得て撮影)
ZOUMUSHI CHOPPER
すごくいいフォルム。
最近作の共通モチーフであるホイールも全く違和感・てらいなく作品に溶け込んでいる。
Maruちゃんらしいと思ったのは、チョッパーなのだけれどもやはり前傾、やはりバックステップ(笑)。自身のレーサー魂はどうしてもチョップドされないんだね(笑)
AGEHA RACER
これも、とてもキレイ。
やはりホイールはすんなり溶け込んでいる。
ZOUMUSHI CHOPPER が ドロロロロロッ・・・とV型2気筒で土埃りを巻き上げながら道を噛んで行くなら、こちらは氷の上を スーーーーーーーッと、もしかしたらハイブリッドの電気駆動で音もなく行くのかもしれない。
DANGORO ROLLER
これもボクの大好きな作品。
ホイールはないけど、カラダ全体がホイール?
なんとも心地よいかたまり感。
着実に自身の独特な表現世界を広げ進んでいる若きマエストロ、Maruちゃん。
美術作品というものには、いくつかの要素が絡んでいると思う。
勿論、その芸術性、美しさ。
そして独創性、話題性も必要?
作家さんの立場、年齢、(芸術家としての)時期、今がどんな、なにをすべきステージであるかも関係するかもしれない。
でも、そうしたある種、職業家としてのしがらみもこなしながらも、いつしか自分の内なるものから湧き出てきたものが自然とカタチをとって生まれてくるようになって円熟してくるのではないだろうか。
Maru氏の作品も、今の自分の生きざまが重なるようなホイールという表現が洗練され昇華されていまや肩の力が抜け、内なるものが必然にカタチとなってそこにあるように感じる。
当日、会場に数多展示されていた現代アートの中には、おお凄い!と思わせるものもあったけれども、「ああ、この作品と暮らしていきたい」と思わせてくれるものは極く限られていたように思う。
我らがMaru氏の作品は、その意味で、長く一緒に暮らしていきたいと思わせてくれる、息の長い魅力があると思う。
SEVEN DAY MEETING 2010 in MOTEGI [クルマ]
梅雨明けの関東地方、猛暑の中を一路茂木へ。
通常、都内からもてぎに行くには常磐道 水戸ICや水戸北ICから向うことが多いだろう。ボクはあえて友部ICで降りて笠間から広域農道「ビーフライン」を通ってみた。
ツインリンクもてぎ内のサーキットホテルで前夜祭というか、レセプション・パーティ。
ホンダ モビリティーランド側の粋な計らい、宴会場の前庭でのこのディスプレイ。
どうです?ちょっとした新車発表会じゃないですか(笑)
ミーティング当日。国際サーキットのメインスタンド、メインゲート前の芝生に並んだセブン、セブン、セブン・・・
今回は84台の参加があった。もてぎエンジェルまで協力してくれての恒例じゃんけん大会(笑)
画像がないのがとても残念ですが、もてぎの特徴のひとつ、スーパースピードウェイ(オーバルコース)をマーシャルカー先導による体験走行もあった!!
あのインディカーが300㎞/h超で疾走するコースを自分のセブンで走る!ちょっと感動の体験でした。
さて、これは何の何でしょう?
きれいなブルー、ピカピカのメッキ。
そう、このコンコースコンディションの美しすぎるラゴンダは、今回のミーティングの白眉、ゲスト参加されたホンダ技研第4代社長、川本氏と氏のラゴンダなのです!!
川本さんは第2期F1でホンダが大活躍した時期の社長さん。大自動車メーカーの社長といえばトップ・オブ・ザ・トップのビジネスマンといえるであろうが、川本さんをはじめホンダの代々の社長は皆さんビジネスマンである以前に生え抜きのエンジニア。でなければメーカーのサーキットでホンダ以外のクルマのミーティングなど出来ないだろうし、そのミーティングに自らのラゴンダで乗りつけるなんてあり得ないでしょう!
こういうところがホンダの真骨頂であるし、メイクスを超えてホンダを応援したくなる所以ですね。
それにしても川本さんはカッコ良かった。
まさにモータリストとして憧れになるスマートさ、ジェントルさ、カッコよさ。。。
だって、セブン乗りたちがみんな、サーキットエンジェルとよりも川本さんと一緒に写真に写りたがるんだから(笑)
酷暑の中長時間立っていてくれたエンジェルさん、ゴメンねー
会場に出店していたショップ所有のモペッド、ソレックス。
良い色。懐かしいですね。
missellanious
オープンして半年。江古田駅ちかく千川通りに面したAl Andalus(アルアンダルス)。アンダルシアとも表記されることも。
「スペイン・モロッコ料理」
??なぜこの2国??
答えはシェフのご両親がスペインとモロッコの方だから。
そう言われてみれば両国はジブラルタルを挟んで御向かいなのだねー。
パエリアなどのスペイン料理も美味しいけれど、
最近流行りのタジン料理やクスクスなどモロッコ料理もとても美味しい。特にクスクスなど、今までは鳥の餌か?と思っていたのが(失礼)、ここで初めて美味しいものだということが判った(笑)
ある日のANTIQUES CAFE
今日も革ジャンの『乱暴者』(あばれもの・マーロンブランド主演)たちから店の平和を守るためパトロールに忙しい看板娘のLUNAちゃん。
目を合わせないように撮るのは難しいです(笑)
このところお店でよく遭遇するMARUちゃんに見せてもらったプロ仕様の彫刻刀。
これらは鋼の部分が柄の木材深くまで仕込んであり、刃を研いでチビてきたらなんと鉛筆のように柄の木材を削って鋼を出して使うのだそう!!
レス・レストンヘルメットそろい踏み。60年代のグランプリなどに使われていた一流品。
ロゴマークもカッコいいです。ボクも一つ欲しいなあ。
ちょっとしたディスプレイがカワおしゃれ。
ある日のオッキアーリ・パスタ・フレスカ春のメニュー。
わかりますか?なんとウナギのクリームソース!!
まろやかなクリームソースにほんのり山椒の香り。合わせたパスタはリングイーネ。
おどろきの美味しさ。
温かい前菜としてこんなミートパイも有り舛。
我がRoyal Enfield 350 clubman.
どこが変わった?
前後のハブをブラックアウト。リムがいわゆるHリムに。両者相まってホイール回りがとてもキレイな感じに。
・・・それだけ?
あれ? エンフィって、ディスクブレーキ?
そう、フロント、ディスク化してしまいました!
「ヴィンテージじゃない」という声も聞こえそうですが、でも全体のアピアランスとしては決して突出していないのではないかなーと思うがいかがですか?
一番心配だったのはむしろこのレバー周り。
マスターシリンダー・リザーブタンクあたりがどうかと思ったけれど、予想より目立たないように感じます。
カフェスタイルで前傾姿勢だとノーマルより前輪加重が多く、エンフィの特徴であるリアブレーキ主体の走り方がすこし難しい。これでコーナー進入でより積極的にフロント荷重を『コントロール』することができ、旋回にブレーキングを利用することが可能に。
勿論、より現代の交通状況に合わせやすくなります。姿勢に余裕のないカフェでは重要。
ANTIQUES CAFE ASAGAYA ~僕らのエースカフェ~ [バイク]
RECC東京の代表にして木彫作家のMARUちゃんの先導で着いた先は。
"ANTIQUES CAFE"
早稲田通りと中杉通りの交差点近くにある、出来たてのお店。
ところが、オープン数カ月とは思えない熱い盛り上がりを見せている!
続々と集まり、三々五々スタートしていく、どれも個性的なカスタムバイクたち!ライダーも皆センスよく装っていてカッコいい。集まっているバイカーの特徴は、最新スーパースポーツとか伊・独・英・米の代表的フラッグシップバイクとかが少なく、単気筒・二気筒のヴィンテージ、ヴィンテージテイストなバイクが多いことか。
SRカスタム、W650カスタム、トライアンフ、BSA、そして、なんとVINCENT,
ARIELという大御所も!
カフェ・オーナーのW650カスタム。独特のアピアランス、隙のないモディファイ。
カフェ・レーサーの行く先は、カフェ、と書いた。でも、丹精してカスタムしたバイクを乗りつけるのにふさわしい場所というのが、実際には本当に少ない。これまでは芝浦のSPER RACER か、横浜・大桟橋のJACK CAFEあたりくらいか。バイカーたちからは、みなこのお店の誕生を喜び、この素敵で居心地よいお店、美味しいドリンクとフード、なによりオーナーを含めたバイカー仲間との楽しい時間を大切に思っていることが伝わってくる。
ありがちないわゆる常連さんたち、という感じではなく、それこそ敢えて言えば英国風ジェントルメン的、というか、初対面で名前などを知らずとも、フレンドリーに会話ができるような雰囲気。こういうお店は、なかったよね。
若いカフェ・オーナー自身も筋金入りの趣味人のよう。お店のアコモデーションも、抜群のセンスに裏打ちされた雑多感で、ときにびっくりするような逸品アンティークも普通にころっと置かれていたりするので驚く。
お気に入りのカフェの席から自分のバイクを眺める、最高の時間(笑)
いついっても素敵な笑顔のRオーナーとJさんに歓迎され、一人でくつろいでも、出会ったバイカーやヒストリックカー乗りと談笑しても、とても楽しい時間を過ごすことができるお店。ここから東京の新しいカフェ・レーシング文化が生まれるような予感がする。
*お店は閑静な住宅街にあります。音が大きめなヴィンテージ乗りの方々は、来店時・スタート時の音や車両の止め方に自主的に配慮をしましょう。自分たちの大切なお店のために。
お詫びなど
スパムコメント対策で「承認」システムを設定したのですが、その承認の方法をよく理解しておらずコメントが反映せずにスミマセンでした。
やっと承認の仕方を理解しましたので、どうぞよろしくお願いしますm(_ _)m
さて、5月に入り、やっとすこし温かく・・・なるどころか、ちょっと暑いくらいな日々ですね。
そんなある日の午後、3時間だけ自由時間が。
湿度の低いこの季節。梅雨前と秋口だけにあるオープンモータリングにもってこいの日。
あてもなく黄色いカフェレーサーを引っ張り出す。
あての無いカフェレーサーの行きつく先は・・・・・・カフェですよね(笑)
ガレージから南下し、有明、台場からレインボーブリッジの一般道を渡ると、芝浦へは大きなループを1周して下る。ここをギクシャクせずにやや加速を続けながら回り切れれば、バイク乗りとして密やかな満足を得られる。
そうして、モータリストのオアシス、カフェ・スーパーレーサーに着く。
この日も、ハーレー、ビューエル、カジバ、BMWなどのバイクたちがお茶をしていた。
ボクもエスプレッソ・ダブルショットで一息。
またレインボーブリッジに上るループを1周して、ガレージへと向った。
いい午後だった。
久しぶりの、ほんのちょっとモータリング [バイク]
そんな中、かねてよりW/Fチーフメカニック、ハギワラさんと打ち合わせていたエンフィールド535のキャブ変更が終わった。もともとのミクニもなかなかバランスの良いキャブだったし、350cafeに使っているケイヒンCRもとてもいいキャブであるが、ここはもうひとひねり。
ヴィンテージバイク、それも英車での定番はなんといってもアマル製キャブでしょう。多くはMk.1コンセントリックやモノブロックといったモデルだろうけど、どうもへそ曲がりなせいか、「定番」をそのまま受け入れるのに抵抗が(笑)。そこで目をつけたのが、アマルはアマルでもMk.2コンセントリックというもの。
見た目にも古すぎず新しすぎず、特にエアクリーナーからベンチュリにつながるあたりの大口径が迫力に溢れている。
ただし、セッティングはやはり一筋縄では行かなかった。
元々、大排気量ロングストローク単気筒では吸入混合気の流速がコンスタントではない。
並列4気筒でもし1キャブなら、等間隔爆発で吸排気も次々と起こるため流入気流速は(ほぼ)一定で、あまり脈動はない。すなわちキャブのベンチュリを通過するエアの流速もあまり脈動がなく、燃料の気化の設定(ジェッティング)は決まりやすいと言えよう。
対して大排気量単気筒、それもロングストロークだと、そのピストンの上下に応じて吸気バルブが開いてから長い時間を掛けて吸入流速が最大になり、それからまた流速が落ちる。御存じのごとく、流入エア量、速度によって最適なキャブのベンチュリ径、ジェットの大きさは異なるし、また流速の脈動を緩和して安定した気化を促すなら、キャブからエンジンヘッドまでのインテークマニホールドはある程度細く長いほうがキャブ内のベンチュリ内のエアの脈動を緩和し流速を上げられるので安定気化させやすい。
ところが、バイクではインテークマニホールドは極端に短いことが多く、またマニホールドやベンチュリが排気量に対してあまりに細ければ要求ガス量にたいして不足となり、パワー(特に高回転、全開時)が出にくい。
そのような、相反する諸条件のバランスを取り、メカニックは持てるノウハウと技術を絞り出して最適のセッティングをしていく。だが、国産のケイヒンのように、至れり尽くせりのセッティングパーツが用意されていればまだしも、英国の伝統キャブ、アマルにはそのような潤沢なパーツは存在しない。
ハギワラさんにも相当の苦労があったようだが、最終的には弱って来ていた点火系(レギュレータ、コイル)も見直すことも併せて、最高の結果を出すことに成功した!
試乗してみてびっくり!!
大口径キャブになることでのパワー感は期待はしていたが、このパワーの盛り上がり、低回転から高回転までのスロットルレスポンスのつながりも抜群、フルスロットルでも衰えを見せない吹け上がり!!
今回、パワーアップに合わせてドライブスプロケットも1T上げているのだが、もう1T上げてもいいくらいの溢れる力感なのだ。
前回ハイコンプピストンを使ってエンジンを組むときに、あまり高圧縮にしないでむしろ排気量を利した低速からの厚いトルク感を目指し、あえて厚いガスケットを使用して圧縮を落とし気味にセッティングしてあるのだが、排気音もズ太く歯切れよくなり、となりにハーレー1200ccが並んでも、存在感でも速さでも負けていない(笑)。
ハギワラさん、また傑作をありがとう!
これは昨年、後藤くんの力作の特注ライトステー。大好き。
また、今日は下の娘を初めてセブンに乗せてちょこっとお台場まで散歩に。
スーパーセブンというクルマ(?)にその人が適性があるかどうか。
セブンのようなクルマは、大好きか、2度とゴメンだと思うか、はっきり二分される。
最初に乗ったときに「うわー!ひゃ~!あっははははは!!」と歓声とともになぜか笑いが止まらない人がいる。そういう人は総じて適性があるように思う。娘は、図らずも「あひゃひゃひゃひゃ・・・・!」と大笑いしていた。
娘よ、これで「クルマ」というのが本当はどんなものなのか、わかっただろ?
「ナウシカ」に出てくる弱っちいドルク兵のよう。
丸山達也氏 個展 「LIFE RACER」
丸山達也 彫刻展「LIFE RACER」
場所は青山・骨董通りからちょっと入ったところ。
画廊に着くとまず目に飛び込んできたのは、エントランスに止まった彼の愛車。
彼のエンフィは、いつ見てもすっきりカッコいい。
写真左奥、画廊のエントランスでは丁度展示を見終わった多分フランスの方と思しき美女お二が。丸山さんも流暢なニホン語で談笑中だった。
さて、彼の展覧会を初めて見たのは、もう3年以上前のことになる。
この時の記事はこちら。
この時に彼の作品から感じたことが、今回さらに深くはっきりと伝わってきたように思う。
動と静の混在、動きに秘められた静謐、静寂から溢れだすダイナミズム。
また、作品がとてもマッシヴになってきたように思う。
以前からのそのフォルムの良さ、ディテイルはそのままに、力あふれる塊感が増したように思う。
作品の画像は、こちらやこちらの方々の記事をご参照ください。
彫刻では良く、「外を彫ってカタチを作るのではなく、木や石の中にもともと埋まっていたものを彫り出してやる」というような言い方をされることがある。
言葉だけ聞くと、「またまた、そんなこと言っちゃって!素材の中にもともとそんなカタチがあるわけないじゃん」と思ってしまうが、多分言いたいのは、外を削って作るというよりは、結果、出来たものが内側からモリモリと膨らんで出来たような、勢い?塊感?が必要だ、ということなのではないかな。あたかも粘土を盛って盛って作るように。
内側から出てくる、とは、すなわち自分自身の中からわき出てくる必然のカタチ、必然の塊り。
あと、前回も感じたのが、なぜかお寺に置きたくなるような作品。
どうです?ボクにはこの作品が、托鉢僧に見えて仕方ない。
笠を被り、錫杖と鉢を持ち、いつまでもじっと動かない托鉢僧。
もし自宅がお寺なら、本堂の右と左に、前回の「みどりのロケット」と、この蟻さんを置きたい(笑)
ここ数年の彼の作品を見てきて、ここに来て彼のやりたいことがはっきりしてきているように感じる。
素人のくせに生意気ですが、
初期の作品に、「なにかを表現しなければ」という思いがすこしあったとすれば、近作はそういったコンセプチュアルな部分がこなれてきて、ある意味自分自身の生きざまが無邪気にそのまま作品になってきているように感じる、、、ような気がする。
そして、それは大変素晴らしいことであるように思う。
勿論色々な現実的な苦労や苦悩はあるでしょうけれど、どうぞこのまま突っ走ってください。
で、御縁あって今回の出展作品のなかで一番ちいさな作品がなんと我が家に養子にやってくることに!!
なんとも愛らしいこのレーサーのタマゴ、もうたまらなくカワイイ!(笑)
どう?いいでしょ~
JCCA New Year Meeting 2010 [クルマ]
今年は穏やかな好天に恵まれ、ポカポカと温かい。本当に久っしぶりに我がセヴンで見物に出撃。まずはエア圧チェック(笑) ほとんど減ってなかった。
走り始めて10分ほど、ようやくオイルも暖まり回転の上昇もスムースに。あ、燃料計は時々お休みします(爆)
昼前に会場に到着。特設Pへは約0分待ちで入れた。予想より早かった。
会場は展示車両も多いけど人もすごかった!全部のブースをしっかり見て回るのは、1日かけても難しい?
そんな中、珍しいものを発見。なんと英国風ナンバープレートをその場で刻印してくれるというサービス。
自分も打刻してもらおうかと考えたけど、いい文字列を考えつかず今日はパス。
膨大な展示車両の中で、ああ、一生の憧れのクルマを発見。
JAGUAR D-Type Re-Mans (replica)
なんて美しいライン。。。(嘆息)
ル・マン制覇をもくろむジャガーのサー・ウィリアム・ライオンズが作らせたプロトタイプ、C-Typeを洗練させたのがD-Type。67台しか作られていないので、今やオリジナルは手の届かない存在。
この、ドライバー後方のフェアリングに続くスタビライザーフィンなど、デザイナー、マルコム・セイヤーの航空機への憧憬がそこかしこに現れている。(フィンの無いロードバージョンも存在する。それもとても美しい。)
空力特性としては抵抗は少なくともむしろリフトは大きそうなデザインではあるが。
エキュリー・エコッスのエンブレム。
スコットランドに本拠を置く名門レーシングチーム。スコッチなのになんでフランス語のチーム名なんでしょ?エキュリーは厩舎、エコッスはスコットランドの、の意。スクーデリア・フェラーリとかの呼称に習った言い方かな。
こういう、叩き出し(叩き押し?)のエア・インテークも大好き! すごく60年代してる。
フェラーリ250GTOなんかのノーズにも同様な造形が。
3時を回ると急激に寒くなって来て、帰りのセヴンは手が冷え切ってしまった。やはりグローヴは必須ですね。
隠れ家 [foods]
我が家から5kmほど、ちょっと頑張って自転車で、スクーターなら丁度いい距離。
昭和レトロなそのお店は、ひとりで行くのにちょうどいい。
特筆すべきは、そのコーヒー。
厳選された農園の新鮮な豆を少量ずつ仕入れて丁寧にハンドドリップ。
サーヴされる温度は、60℃くらい?もっと低いかもしれないほどぬるめ。
コーヒーはあまり高温で抽出されると味も香りも飛んでしまう、といわれている。でもやはり一般には90℃くらいで抽出、75℃~80℃くらいで供されることが多いだろう。
ボクが猫舌だからかもしれないけれど、このぬるめのコーヒーが本当に香り高く味わい深い。ブラックで供されるストレートコーヒーが、まるでワインみたいにファーストブーケ、セカンドブーケというふうに香るのだ。
カフェ・オレにつかわれるミルクも特別な生乳、これも温めすぎないようにされている。
とっても美味しい。
今日は「チキンカツ・サンド」を頂くことができた。ホットドッグ用パンにチキンカツ(ソースかけ)を挟んだだけ、という一件なのだが、これがまた、「むほっ♡」と声がでてしまうような、”正しい”美味しさ!
「うわ。」でも「おー」でも「ううむ・・・」でも「きゃー!」でもない、思わず「むほっ♡」とほくそ笑んでしまうような美味しさなのだ。これは、店主がこだわるように、このパン、このカツ、で、このソースでなければ出ない味わいだろう。
自家製のガトー・ショコラもチーズケーキも、すごくいい素材をストレートに生かす、とても美味しいもの。
でも、なんといったらいいのか、ああ、本当に説明が難しいのだけれど、「妥協せず最高の素材を使ってます」なお店にありがちな感じではないのである。
とても変なたとえなのだけれども、昔一生懸命美味しいものを提供しようとしていた洋食屋さんが、いつしかビーフカツレツ¥3000、とかハヤシライス¥2500とか、カリーライス¥2500とか、で、ウチはそんじょそこらの洋食屋じゃないんだよ、と言いたげな”妥協のなさ”ではないのだ。よい材料を探し求めること、それを生かす最良の方法を模索し供すること、でも、「町の洋食屋さん」のスタンスから外れることも勘違いすることもない、という地に足がついている良識(と、誇り)を保っている、というか・・・・(Cafeだけど)
ともあれ、美味しい独特のコーヒー、美味しいカツサンドにケーキで、静かに自分のための時間を持つことができる貴重なお店なのである。
ただしBGMはお店全体の雰囲気にあわせて昭和中期の歌謡曲が静かにかかってる。
iPod持参で、京都は小池レコードのバッハ名演集などBeyer Dinamics のイアフォンで聴くのがよろしい。
お店の名前?教えません(笑)
カニでお出かけ 2 [クルマ]
まずは最近のお気に入り、「はらドーナツ」へ。
ここは神戸のおとうふやさんのオカラを使ってヘルシードーナツを作っているお店。ホクホクした独特の美味しさがある。
お店のCIやらはかなり「カワイイ」路線だが、カニ目にはよく似合う?
お土産分もあわせて結構な数を買いこむ(笑)。
しばらく都内をランナバウト。
我ら古いクルマ乗りの強い味方、吉原モータースでE/G, T/M. デフオイルを交換してもらって絶好調のカニ目くん、気持ちよく世田谷を目指す。道行く人が時折振り返って指さし笑っている。(ボクを見て、じゃないよね)
着いたところは 「用賀倶楽部」
ベーカリーとカフェ。隣はテニスコート。テニス帰りのヤングミセス(死語)や、ワンコ連れに人気。ここのテラス席でランチをいただく。
サーモンのちゃんちゃん焼き風ホイル包み、五穀米、サラダのワンプレートにドリンク・スープ付きのヘルシーランチ。以前のボクならばこんなOL向けヘルシーランチなんかには目もくれず「てやんでぃ、カツ丼持ってきやがれ!」と息まいたことだろうに、これといいおからドーナツといい、いったいどうしちゃったんでしょうね。油っけが抜けて、いい人になっちゃう(笑)。
その後、二子玉川の弦楽器工房、サラ・ヴィオリーニの池田さんのところへ。
なにをしに行ったかって? 秘密です(笑)。
はらドーナツをお持ちしたらさすがグルメな池田さん、これもご存じだった。おいしい珈琲をいただきながら、行ってきたばかりのクレモナ・トリエンナーレ(3年に一度の手工バイオリンのコンクール)やモンド・ムジカ(国際楽器見本市)などのお話をうかがう。
そして、ああ、また今日も、イケナイものを見てしまった・・・・ああいうものは一度触っちゃうともうダメですね。じっと手を見る(謎)
このころから窓の外に陰がさし、なにやらポツポツと音がし始めた。工房を辞して外にでると、どうやら前線が通っているらしく、パラパラと小雨が。いそいで帰ろう。
環状8号外回りは渋滞が激しかった。永福から首都高に乗り山手トンネルへ。首都高に渋滞はなく、カニ目は泳ぐように軽快に走る。
カニ目の948ccAタイプエンジン、4速ミッションはあまりエンジン回転を上げずに早めにシフトアップし、車重の軽さを利してトルクで長くひっぱるほうが上手く走る。前後ドラムのブレーキも現代車のような性能はないから、前の交通の流れをよく読んでパニックストップが要らないように気を付ける必要がある。このあたりはエンフィールドとほとんど同じですね。
なんとかほとんど濡れずに帰宅できたが、その後雷を伴う驟雨に見舞われ、トノカバーの上は池になってしまった。
最近の美味しいもの [foods]
久し振りに蓼科~八ヶ岳方面へ。
そして久し振りに原村・香草庵へ。
せいろ
人気の鴨せいろ
これまた大人気の ぶっかけ。西京味噌をそばつゆに溶いてぶっかける。すずしろ、ソバの実のあられなどと絶妙の取り合わせ,食感。
忙煩時には頼めない、そばがき汁粉。絶品!
桜吹雪の上野桜木にヴェスパでお出かけ。最近の注目店、パティスリー・イナムラ・ショウゾウ。
その近くにはFull Length Table.
居心地のいい店内。よく見ると、なんとイスなんかかなり凝った名品だったりする。Newヴェスパも見られる。
手書きのメニュー。いいセンス。
鯛のたたきのカナッペ。まずこれで驚き!!ベースのパンもすごくいい。
サラダもそのドレッシングに驚き。ドレッシングというよりは、なんというかサラダソースとでも言いたくなる奥深さ。野菜がいくらでも食べられてしまいそう。
そして、見よ!このプレートの美しさを!!
サンマの塩焼きなのだが、こんなきれいなお皿見たことない。フレンチにもイタリアンにもポルトゲーゼにもないこのセンス。まるでローラ・アシュレイかリバティのプリントのよう?(笑)
シェフの卓越した力量がうかがわれる一皿。サンマ本体はもちろん、まわりの葉っぱも美味しい。
がっつり、真っ向勝負のラグーソースのパスタ。文句なし。
牛肉は勿論やはり野菜がおいしく食べられるシチュー。
いやいや、シェフはまだまだお若いのに、この味と盛り付けを作りだす力量・センスは相当のもの!
すてきな奥様のサーヴィスも心地良いし、ここを知っていると人生の楽しみが増えますよ(笑)。
神田の駅近くで偶然見つけた生パスタのお店。
Occhiali Pasta Fresca
スパゲティやリングイネ、フェトチーネ、タリアテッレなどのロングパスタにペンネやフィジッリなどのショートパスタもあり、それらのパスタと好みのソースを組み合わせて注文できる!!これは画期的だー。
アンティパストも。
これはチキンにマスカルポーネチーズが入ったもの。オイシ~~。その付け合わせのラタトゥイユもおいしい。
ボクが頼んだのはこれ。ふき味噌に鶏の挽き肉のソース!
お姉さん(2人で切り盛りしていた。カウンターのみで12席ほど。)に「このソースならパスタは何がお勧め?」と相談してみると、「わたしなら細いリングイネが合うと思います。」そうそう!、そう思うよねー。と意見一致してリングイネに。美味しかったです。
女性も一人でグラスワインとアンティパストにパスタなんてやってて、いい感じ。ウチの近くにあればいいのに。
Mechanic, Abeちゃんのこと [クルマ]
我がチーム、H.M.C.S.のチーフメカニック、長谷川モータースの透さん。磐石の信頼をもって日頃のメンテ、チューンからサーキットサービスまでお願いしている。透さんや、他のH.M.C.S.メンバーとボクのエピソードは旧・HPにも詳しいが、今日はもうひとりの長谷川モータースメカニック、Abeちゃんについて語りたい。
Abeちゃんは寡黙な男である。実年齢よりも老成しているように見える。仕事は黙々とやる。能書きより結果、と背中が言っているようだ。
我々ドライバーがサーキットを周回する様を透さんと二人、じっとピットから見つめている。パドックに帰り、透さんにマシンの挙動、排気温度、油圧、水温などを報告している間にもエア圧を黙々と測る。またコースに出ようとする我々のバイザーを拭き、ハーネスを締め上げ、コースインOKのオフィシャルの指示をまつわずかな間にもホイールナットのトルクを掛ける。
黙って、でも出来うるかぎり好条件で走行できるように気を配ってくれる。それは予選・レースのみならず、練習走行または単なる楽しみのための走行会であっても同じだ。どのような走行でもサーキット・ランのリスクは同じなのだから。
そんな寡黙な闘魂・Abeちゃん、やはり僕らドライバーもそのときの最大努力をしていないようだと、ちょっといつもに増して口数が少ないかもしれない。
ある日のSOCJ主催のサーキット走行会。生憎の大雨。いきおいコースインするマシンも少ない。一時は走っているのはH.M.C.S.のウチらのセブンだけ、なんて時もあった。レーシングスーツの上にレインスーツを着、クルマに乗り込むボクをAbeちゃんがサポートしてくれる。シートに溜まった雨水をできるだけウエスで拭き取り、サイドパネルをまたごうとするボクの足を掴み、雨で濡れたレーシングシューズでペダル操作が滑らないように靴底を拭いてくれる。一瞬、そんなことまでしてくれなくてもいいよ!と口を突いて出そうになるが、ぐっと黙って、あえて織田信長のように偉そうに(?)そのまま靴を拭いてもらいマシンに潜り込む。
メカニックさんは勿論、日吉丸(秀吉)ではないので、本来ドライバーの靴なんか拭かなくたってちっともかまわない。そんなこと、必要ならドライバー自身がやればいいのだ。だが。
Abeちゃんはそんなことさえ率先してやってくれる。そういうことはこっちがやるから、ドライバーは走りに思う存分集中してくれ!と、その語らない背中に言われているように感じる。そこまでしてくれて、と思うより、渾身のセットアップをしたそのマシンの、今日のコンディションの中での最高のパフォーマンスを発揮させてやってくれ、と言われているように感じる。
Abeちゃんにハーネスを締め上げてもらい、ゴクッ、と唾を飲み込みコースインする。
タイヤはMコンパウンド、雨には硬すぎる。特にストレート後の1~2コーナーの高速セクションで姿勢が乱れる。氷の上のようなコース上を、限界を探りつつ徐々にコーナリングスピードを乗せていく。アウト側がく、ぅ~~~、と沈む気配。よし、アウトに荷重が掛かった!と思った瞬間、前後輪同時にグリップを失いザーッと、コースアウトし水びたしの芝の上を滑る。ちっっくしょ~~!もう一回!
フロント荷重が突き抜ける寸前を右足つま先で探りつつ1コーナー進入のブレーキング。ほとんどノーズが沈まない。くくぅ~~~~、とステア、じんわ~~りとスロットルオン、く、くぅ~~~~・・・・・ザー!!! あ~~。また・・・・
3回ほどもグリップ限界を超えランオフエリアで泥遊び。タイムアップし泥だらけでパドックに戻る。
コクピットまでも散々泥水をかぶったマシンを、Abeちゃんがホースから水をかけて洗ってくれる。あらかた流し終わると、こんどはボクに向かってレインスーツの泥水を流してくれる。「はい、今度は後ろ向いて~~」と、まるでお漏らしした子供だ。こんなにコースアウトしちゃって、Abeちゃんがっかりしてるかなーと思い恐る恐る顔色を伺うと、相変わらず無駄口は聞かないが、ジャバジャバとホースで水をかけながらAbeちゃんはニコニコと静かに笑っている。あれ?がっかりしてないの?
そう、彼はボクの限界チャレンジを認めてくれていたのだ。結果、限界を超えてコースアウトしてしまうが、前後輪同時にグリップを失う様から、それが本当にマシンの限界だったことを見ていてわかっていてくれたのだ。雨のヘビーウエットコンディションでそこまで限界を探ったことを認めてくれたのだ。
お漏らし子供のように冷たい水でジャバジャバと泥を落としてもらいながら、心はじわ~~っ、と暖かくなってくる。こんなメカさんにサポートしてもらってるウチのチームは、ほんと幸せだ。さあ、随分濡れて寒いし、少し休もうか・・・
「はい、motchieさんいいですよ~、クルマも大丈夫です。丁度次のセッション、始まりますよ!」
え?休んじゃダメ?・・・・・・はいはい、行ってきますよ~、行きますよ・・・・・・
I love Enfield! [バイク]
ところが、こんな日に限って仕事が終わらず、午後7時過ぎ、ヘレヘレになって職場を出、ガレージで出発準備を。と、ポツポツ来ていた雨がなんと本降りになってきたではないですか!やれやれ、と半ばあきらめムードでレインウエア、レイングローブに装備を変えます。午後9時、やっと東京を出発。救いは首都高・中央道の交通量が少なく流れが極めて順調なこと。そして、走りだして程なく、首都高速の60~80kmで通過するカーブを抜けながら・・・おや?なんかコーナリングがいい感じだぞ?実は最近我がEnfield Cafe Racerはガスタンクを変更していたのです。タンク形状が変わりライディングポジションが楽に、自由度が高くなっているのはわかっていましたが、どうも以前より乗り味が明らかに異なる。
以前の状態では前傾姿勢を「腰で」維持するのが辛く、どうしてもコンドルタイプの低いハンドルに荷重をかけてしまう傾向がありました。これは長時間ライディングで首・手首が辛いのもありますが、ブレーキング~コーナー進入からバンク~向き変えという一連のデリケートな状況下でとても大事な、「ハンドルに力を入れない、ハンドルで支えない」ということを難しくしていたのです。それが、今日は自然にハンドルから力が抜けた状態を維持できている。そしてそれがトラクションを掛けての立ち上がりでもとても有効に作用し、シートに自然に荷重を移行させられることで旋回後半の後輪トラクションが良く掛かり強く安心して旋回してゆくことができているのです。
これはかなり嬉しい驚きでした。コーナーの連続する首都高を抜け、しばらく直線のつづく八王子までの区間を楽に抜け(ただ直線のこの区間が楽、というのは、カフェスタイルのバイクにとってはスゴイこと?(笑))、4速4000rpmレベルの高速コーナーが連続する中央道区間に入っても、その印象は強まりさえすれど弱まることなく、操縦性が変化していることはもはや確信へと変わっていったのです。
雨は高度が上がるにつれ霧雨~霧と変わり笹子トンネルを抜け甲府盆地に入る頃には上がってきました。いつもなら辛い首・腰・手首を休めるためにヨロヨロと談合坂SAへ立ち寄らなければ先へ進む気が起きないのですが(笑)、今日は止まるのがもったいない!くらい乗れています。そんな自分に驚きながら(だって、7時すぎまで仕事があり、フィジカルなコンディションは決して良いとは言えない)勝沼IC~塩山~雁坂道へと軽快にバイクを進め、とうとう料金所以外足を着かずにEnfield仲間の投宿している河浦温泉まで一気に走りきってしまいました。
翌・日曜日は打って変わった晴天に恵まれ、絶好のツーリング日和に。総勢20台を越すEnfield でワインディングを走るのは、もう至福の一瞬! 山梨市内のフルーツライン、柳沢峠、奥多摩往還道、旧・奥多摩有料道路から八王子へ、とほんとに幸せな道がつづきます。ここで、昨夜感じた操縦性変化が「気のせい」ではないことを再確認することができました。やはり今日もいい具合にハンドルから力が抜けています。ハンドルに寄りかからずとも前傾姿勢を保つことが出来、それがブレーキング、リリース/バンキング、アクセル・オン/リア荷重で立ち上がり加速し旋回を強める、という一連の動作がとてもスムースに出来るのです。またシート上でのポジション移動もとても楽。
Enfieldは旋回~立ち上がり時にほんのわずか、気持ちの上では尾てい骨1cmくらい?イン側にカラダを入れたあたりに旋回トラクションを強めるいいポジションがあるのですが、ブレーキング時にタンク・シート・ステップ(と、踵で挟んだサイドボックス)で車体をホールドしていた状態から、ふっ、と力を抜いて抜重と同時に1cmイン側にカラダを預ける、という動作は、わかってはいてもなかなか実践が難しいトコロです。
前傾の強い、いかにも速そうなレーサーレプリカよりも、250ccくらいのオフロード系バイクのほうが低速のきついコーナーや街中の曲がり角で速いのも、こうしたハンドルから力を抜く操作がしやすいから、ということもあるのです。Enfieldもノーマルポジションはこのバンク、前輪のセルフステア、後輪トラクションで立ち上がるという動きがわかり易いバイクですが、カフェスタイルにもかかわらずこの素直な操縦性がスポイルされていないのが今回の驚きなのでした。
好みの外観を手に入れたことに加え、この操縦性の獲得で嬉しい驚きとともに帰京。WFのチーフメカニックのHgさんに今回の発見を報告、「ねえねえHgさん、タンク変えただけじゃなく、シートポジションも変わってない?もしかしてシート前端すこし低くしてない?」と聞いてみた。Hgさんは進めていた整備の手をちょっと休め、「解りました?」とニコッとした。あ、やっぱり!
聞けば前端が下がったのではなく、後端を1cm上げたとのこと。これにはちょっと驚き。ステアリングヘッド位置は不変なわけだから、シート位置が「上がった」のなら、普通はハンドル荷重が増える方向になり勝ちなはず。それが反対にうまく加重が抜け、リアトラクションが掛けやすくなっている。
考察すると、タンク形状が変わりタンク後端が絞られているので、乗車状態ではライダーの膝の開きは少なくなる。いままではタンクを膝でホールドしようとするとシート上ではやや後ろ気味に座らなければならなかったのが、今回のタンクではより前寄りに座ることができる。と、腰とハンドルの距離はやや縮まり手は楽になる。シート後端がすこし上がったことによって、コーナー立ち上がりで後輪に荷重移動が起こる際にシートはライダーの体重を自然に受け止めることができ、ライダーは安心して後輪の上に乗っていける感じになる。このようなことが相まって今回の素晴らしい操縦性を獲得したのではないだろうか。ハンドル荷重の問題がクリアされていれば、シートは高いほうが旋回性は高まる。ううむ、Hgさんお見事!やるなあ、焼酎喰らって説教するばかりじゃないんだねえやっぱり(笑)。
バイクの改装をメカニックさんと話し合い進めていく。メカさんはオーナーの意向をとらえ外観、機能性、安全性を考えながら各部をセットアップし作りこんでいく。4輪のレースセッティングも同じようなことがおこることがある。テスト走行を終えてピットに入り、クルマの今日の状態をメカニックさんに伝える。「油圧、水温、排気温度は正常、(コーナー)立ち上がりのトラクションの掛かりがいい。リアが出る感じがなく踏んでいける。その反面、進入でノーズの入りが少し鈍い感じが・・・・」 と、メカさんは「あ~、わかるんだ」 あ、さては試したな~!「実は今日はフロントを5mm上げてみました(笑)」なんて。
今回ワンオフで作ってもらったカットアウェイになったカウルのフライスクリーンやヘッドライトカバーも最高にカッコよく付いた。タンク改装ではシートセッティングは頼んではいなかったが、HgさんやKgくん、Trちゃんたちは言われたことのみにとどまらず考え、必要なパーツは無ければ作り、オーナーの期待以上のものを実現してくれる。そういう、彼らの日常の努力の成果を感じ取れたことが嬉しい。こうやってまたボクのEnfieldが世界でたった1台の、ボクとWingFootの作り上げた作品になっていく。こういうこともEnfieldで走る醍醐味の重要なひとつだと思う。あ~幸せ(笑)。
PS.今回、家族の強い薦めでHit Airのヴェストを着用しました。最初は面倒だけれど、慣れてしまえばやはり安心感は違います。ややゴツイけどお奨め。
型にはまる
子供がお茶を習っています。上の子はもうかれこれ7年、下の子も3年ほど。まだまだ未熟ではありますが、でもそれなりに所作が身についてきているようです。先日、上の子が免状をいただく機会があり、久しぶりにお稽古を見学してきました。そこで感じたこと。
お茶の作法、その動作は文字通り「お茶を煎れる」ための動作です。道具を用意し、お茶を点て、道具を仕舞う。どうやったってそれはできるのではありますが、そこを決められた手順、決められた所作ですることはなかなかに大変です。しかもそれを、ただ間違えないように動くというのではなく、まるで無意識でやっているように自然で流れるように、加えてその所作が美しくなるまでの修練は並大抵のことではないと思います。
レーシングドライブにも似たようなことがあります。マシンが効率よく動きタイムを削るには、無駄な挙動が出てグリップやトラクションを失う時間は極限まで削る必要があります。そのためには加速・減速・旋回の各シチュエーションのつながりを流れるようにスムースに行う繊細なブレーキング、ヒール&トゥ、ステアなどが必要です。
ハンドルを回すのにやり方がある、なんて、考えたことがありますか?
サーキットドライブを始めた頃、我が師匠のひとりN崎さんに言われたこと。「ハンドルは押すんだよ。必ず押し手でステアすること。」人間の手の筋肉は、屈筋群のほうが伸筋群より強く出来ています。つまり、握る方向、力こぶを作る方向に動く筋肉のほうが腕を伸ばす方向の筋肉より強いのです。中学の頃、科学の実験での注意事項でモノが熱いかどうか調べるには手の甲を近づけて温度を感じること、というのがありました。もしも対象に触れてしまった場合、手のひら側で熱いものに触れたらその刺激で手はそのモノを握ってしまう方向に力が働いてしまうので大やけどをしてしまうからです。手の甲であれば、もしもの場合もそのモノから手が離れる方向に筋肉が働くからです。
話が逸れました。レーシングドライブでのステアリング捌き。ハンドルを『握り』、引いて操作していては、そのときに働いている屈筋群のほうが強いため、とっさのハンドルを戻す操作がしにくいのです。つまり、リアタイヤのグリップが抜けた瞬間に適切にカウンターステアを『当てる』必要があるのですが、それが、引いていては遅れるということなのです。ステアリングを『押して』操作していれば、必要なとき瞬間的に『引いて』カウンターを当てるほうが反応が早いのです。
しかし、頭で理解は出来ても実際にそれが反射的に出来るまでに身に付くには相当の時間と訓練を必要とします。まず最初に、ハンドルを必要以上の力で『握らない』ようにするのでさえ、かなりの時間がかかるのです。そして、そのような押し手がしやすいような腕の角度をつくるためのシートの位置などドライビングポジション作りも相当に重要なことなのです。
ふと気づくと、今では街中をゆっくり流しているときでも自然と『押し手』でハンドルを操作しているのに気づいて苦笑することがあります。
身に付くのが難しいといえば、楽器、特にヴァイオリンなどの弓使いなどは本当に難しいですね。勿論、弦を押さえて正しい音程をつくる左手の指も、『正しく』身に付けるには本当に大変なことですが(未だに出来ない)。でも、これも子供のレッスンを見ていると、全然進歩していないようでも5年も経つとそれ相応に少しずつ身についているのがわかります。石の上にも3年、いや10年というところでしょうか。
冬の陽だまり [音楽]
年が明けました。元旦、2日と東京は穏やかな晴天です。窓からは冬の、短いけれど明るい日差しが入ってきます。大きな窓から冬の陽光が燦々と降り注ぐと、いつも思い出すこと・・・JAZZとの出会いです。
1970年代の東京のお正月は、今よりもっともっと町は静かで、コンビニエンス・ストアなどまだ無く、営業している外食産業としてはマクドナルドくらいしかなかったと思います。なので、各家庭では暮れのうちにそれなりの準備をしていないと食べるものにも困ってしまうようだったと思います。年始回りも済んで1月4日くらいになると、もう家にいるのが退屈で仕方ありません。しかし街に出ても、あらゆるお店はほとんどまだ営業していません。ティーン・エイジの放課後を過ごした御茶ノ水界隈も同様、大きな書店もまだ開いていません。
駿河台のマロニエの並木道を当て所なく歩いていると、PANというお店がやっていました。
そのお店は、駿河台から山の上ホテルの裏を通って猿楽町へと下りる坂道の入り口にありました。今思えばちょっと北欧デザインのような、白くて四角いエクステリア・インテリア。当時まだあまり見なかったオープンサンドウィッチのお店でした。学生の居ない正月休み中の閑散とした店内に入ってみると南西を向いた大きな窓からは冬の陽光が燦々と店内に降り注いでいました。
暖かい奥まった席につき、サンドウィッチとコーヒーをお願いし、待つ間・・・・
誰も居ない店内にはジャズが静かに流れていました。それまでクラシック・ギターやフルートなどで主にバロック期の音楽に親しんでいた僕は、ジャズとは気難しいオジサンが聞くものという先入観があり、あまり親しみやすいものではなかったのですが、そのとき流れていたピアノトリオの演奏は、印象的なメロディと和音ですんなりと心に入って来ました。正月休みのもてあました時間、冬とは思えない暖かく明るい北欧風の店内で聞くJAZZ・・・タバコの紫煙漂う薄暗い店内ですっかり冷めた酸っぱいコーヒーカップを前に眉根に皺を寄せて眼をつぶって黙って聴くというイメージとは正反対でした(笑)。
お店をあとにするときに、思い切って「今流れていた曲はなんていうのですか?」と店員さんに聞いてみました(当時、17歳くらいな自分には、かなり勇気がいることだったように思います)。店員さんは親切に、「そこにかけてあるレコードジャケットの曲ですよ。カナダ組曲。」と教えてくれました。オスカー・ピーターソン・トリオのカナダ組曲。後日、御茶ノ水のDisc Unionで見つけて早速購入したのは言うまでもありません。
それからオスカー・ピーターソンに限らず色々なJAZZを聴いてきましたが、はやり僕は、オスカー・ピーターソンのようなJAZZが好きなようです。カナダ組曲はもう何度聴いたことでしょう。中でも特に好きなのは7曲目の”March Past”。ううむ、日本語訳が難しいですね。こういうときの英語って、状況をスチル写真一枚で物語るような言い方ができるもんなあ。無理に訳すと「行進の過ぎ行く」(?)古語になってしまう(笑)。
他にもヴォーカルのエラ・フィッツジェラルドとの共演や、ミュージカルの「ウエスト・サイド・ストーリー」のJAZZ版などは、もう言うまでも無い名演と思います。最近NYで活躍中の日本の誇り・小曽根 真さんのピアノも大好きなのですが、最近の聞き及びによると、彼も少なからずオスカー・ピーターソンへの思いがあるようです。
3年ほど前だったと思いますが、Blue Note Tokyoでオスカー・ピーターソンのライブがありました。もう80歳を超えていたと思います。思ったより早く仕事が終わった雨の夜、キャンセル待ちでも聴けたら、と思ってBNTへ行って見ました。「立ち見でもよろしかったら・・・」と運良く見ることが出来たそのライブは、正直に言って音楽を聴くという意味ではほとんど意味がありませんでした。JAZZの巨匠はもう自力で歩いてステージに上がる力もなく、車椅子を使っていました。往年のあの和音はそこかしこにちりばめられていましたが、メロディはほとんどギターに任せている状態。ちょっと見ていて痛々しいな、と思ってしまいました。かつて昭和女子大人見記念講堂で聞いたヴァイオリンの名手、イェフディ・メニューヒンさんのコンサートでも、ちょっとそう感じてしまったのを思い出します。巨匠たちの往年の素晴らしさをレコードなどで十分知っているからこそ、老いた彼らを見るのがちょっと痛々しいと思ってしまったのです。でも、それでも、今思えばやはり彼らの生の姿を見ることができて良かったと思っていますが。
昨年暮れ、12月23日にオスカー・ピーターソンは故郷のカナダで亡くなったそうです。
今年もNOUVEAU
最近エンジン関係の話題がなくてすみません。
今年もボージョレ・ヌーボーの解禁日です。ちょっとおしゃれな500mlボトルを買ってみました。量飲めないからね。昨年のボージョレはかなりフル・ボディな感じだったのだけれど、今年は例年のものと同様、フルーティで軽い感じです。ブルザンのペッパー入りチーズとともに戴く。ソムリエナイフは今年五月の八ヶ岳旅行で手に入れたもの。
昨年のヌーボーの記事を書いたのもこの時期。もう1年経ちました。そうかー、REOMが終わるとボージョレの解禁の週なんだ。今年のRoyal Enfield Owners Meeting 07は天気予報どおり雨模様の一日だったが、そんな天候不順の中にもかかわらず昨年に准ずる台数のRE乗りが集まってくれた。嬉しかった。そして、一所懸命イベントを成功させようと走り回ってくれたクラブの仲間に、深謝。ありがとう。
これからもボージョレ・ヌーボーを空けるとREOMを思い出すことになるのだろうか。
ということは、このBlogを始めてからも早や2年を過ぎることになる。早いなあ。
ネコはまあるく寝ている。ウチのネコは銀トラである。おなか丸出しで寝ている。安心しきっているのだろうか、それとも無用心なだけなのだろうか。夢でも見ているのだろうか。おなかの毛の白のなかに黒いトラ模様が混じる。見ているとバイオリンの裏板やネックの材料の西洋楓の虎杢(トラモク)模様にそっくりだ。
ヌーボーで酔っているためでしょうか。まとまらない今日の記事でした(笑)。
遠い記憶
東京オリンピックの頃の話。(歳がバレますなぁ)
小学校低学年だった僕はときどき両親が連れて行ってくれたあるレストランが大好きだった。家からクルマで5~6分の距離にあったその小さなお店は、チロル風の山小屋のような風情だったと記憶している。狭くて急な階段を上がると、ほの暗くさほど広くない店内は黒いクロスした木の梁と白い壁に赤いテーブルクロス。そこで食べるのはいつもハンバーグステーキ。子供心にも(実家の近所にはめずらしいような)小洒落たお店での美味しい食事は、家族と過ごした暖かく幸せな時間の記憶である。
さて、そのレストランそのものは今はもう無いようだが、実はおなじ名前の姉妹店があり、そちらはいまだに実家のほど近くで続いているということを近年知った。HPによると、当時より連綿と守り続けたデミグラスソース云々とある。こういう場合、そこに行ってみるというのはひとつの賭けであろう。大抵記憶は美化されているもの。現在の東京に暮らす自分が現在の外食事情のなかでその洋食レストランに行ってどう感じるか。当時の美味しく幸せだった味と時間の記憶が壊れてしまうこともあるだろう。
そんなことを思っていた矢先、ちょうど一人で夕食をとらねばならない日に実家近くを通過した。考えて、ちょっと自分を鼓舞してからそのお店を訪ねてみた。
こちらのお店も、記憶にあるのと同系統の、チロル山小屋風のお店。エントランスから2階に上がるところも当時のお店のつくりと一致。偶々店内は(閉店時間が近かったためもあるのか)自分ひとりだった。メニューから迷わず”ドイツ風ハンバーグステーキセット”をお願いする。
待つことしばし、料理が運ばれてきた。ああ、多分このお皿などは当時のままなのだろうなあ、と思うがそこいらのディテイルはもう記憶には無い。果たしてお味は・・・
ハンバーグパティは厚みも十分、粗微塵のタマネギの風味も香ばしくカリッと焼かれた外側もGOOD。伝統のデミグラスソースは・・・ううむ、正直、現代の東京のレストラン水準でいえば、まあ水準であり標準である(今時の東京で不味い食べ物を出す店はちょっと論外でしょう)。まろやかだがちょっとパンチというか印象に欠ける。
当時、このお店は子供心にはジャンルを問わずの「一番美味しいお店」であった。今このお料理は、あえて「昔ながらの洋食」という立場で作られている。「なつかしい味」というプレゼンス。それは付け合せのスパゲッティやポテトサラダというものにも現れていると思う。パティのつくり、焼き方は純粋に料理として高得点がつくハンバーグだと思うから、やはりレトロ感を(見た目や構成、食器などではなく)かもし出しているのは良くも悪くもデミグラスソースだろう。見た目や付け合せでなつかしの・・・を演出し、ソースは渾身の力を込めてシェフ自身が一番いいと思う納得のソースにする、という選択は無いのだろうか。それとも今のこのソースが、そうなのだろうか・・・
でも、今の自分が感じたことによって遠い幸せな記憶は色褪せることは無かった。それは料理が美味しかっただけではなく、そのお店に両親に連れられていくという幸せがあったからだろうと思う。「あのお店に行くよ」と親が言い、「わーい!」と子供が喜ぶ。喜ぶ子供を見てきっと両親も嬉しかったのではないかと思う。そういうことが、そういう時間が大切なのだろう。今、子を持つ親として、家族で出かける楽しかるべき食事の時間は楽しい時間として子供の記憶に残るように気をつけようと思う。ずっとずっと後になってからも子供の記憶の底に残るように。
PS.なのに早速、昨日出かけたお店のあまりの対応の悪さに不機嫌になってしまった。反省。